第506回 右脳の筋トレの仕方


ロボマインド・プロジェクト、第506弾
こんにちは、ロボマインドの田方です。

右脳といって思い出すのが、このチャンネルでも何度も紹介してる脳科学者のジル・ボルト・テイラーです。
ジルは、左脳が脳卒中になって右脳で感じる世界を体験しました。
そのとき、まず、自分の体の境界がわからなくなったそうです。
腕と壁の境目がわからなくなってきます。
そして、体が膨張するのを感じます。
やがて、自分と世界が一体となるのを感じました。
世界の中に自分が溶け込んだようです。
そこには時間も流れていません。
今、この一瞬があるだけです。
そして、その時、圧倒的な幸福を感じたそうです。

これが右脳で感じる世界です。
僕も、これを体験したいんですよ。
でも、僕らは左脳優位で生きています。
だから、なかなかこんな体験、することがないです。

それでも、日常生活で、少しは右脳を使ってることはあると思います。
それがわかれば、筋トレみたいに、右脳を鍛えられると思います。
でも、それがわからないんですよ。
せめて、今、右脳を使ってるって感覚だけでもわかれば、それができるんですけどねぇ。

ずっと、そう思ってたんですけど、ついに、そのやり方がわかったんです。
そのやり方を具体的に説明してるのが、この間から読んでるこの本『脳の右側で描け』です。

この本は、デッサンを上手に描く具体的な訓練方法が描かれてあるんですけど、特徴は、右脳を使って描くことです。
でも、それができるには、左脳を使ってるのか、右脳を使ってるのかわからないといけないじゃないですか。
そこで、この本には、左脳を使ってる時と、右脳を使ってる時の感じ方の違いを具体的に描いてるんですよ。
こう感じてたら左脳で、こう感じてたら右脳だって。
これ、デッサンだけに使うのはもったいないです。
まさに、右脳の筋トレの本です。
これが今回のテーマです。
右脳の筋トレの仕方
それでは始めましょう!

今回のデッサンの課題は手を描くことです。
まぁ、よくある課題ですよね。
ただ、ちょと違うのは、手のシワを描くことです。
まぁ、これもわからないでもないです。
一番変わってるのは、描いてる手元を見ないことです。
シワだけ見て手探りで描くんです。

こんな感じです。
こんなので、まともに描けるはずないですよね。
実際、これでできた絵がこれです。

何がなんだかわからないでしょ。
「手のシワだ」って言われても、よくわからないです。
いったい、こんなことして、どんな意味があるんでしょう?

そこで、課題を詳しく説明します。
まずは準備です。
少なくとも30分は誰にも邪魔されない時間と空間を確保します。
そして、右利きなら左手を見て、右手で描きます。
左利きなら逆です。

手元を見ないように後ろを向いて描きます。
ただ、出来るだけ楽な姿勢を取るために、左手は椅子の背もたれとかに乗せます。
そして、タイマーを用意して、5分にセットします。

右手は鉛筆の先端を画用紙におきます。
そして、左手の手のひらの一本のシワをじっと見つめます。
目は、一本のシワを1ミリずつ追います。
同時に、鉛筆もゆっくり動かして、みた通りに線を描いていきます。
シワの向きが変われば、鉛筆の向きも変わります。

さて、こんなことして何の意味があるんでしょう?
ただの時間のムダじゃないでしょうか?
きっと、最初、こんな風に思います。
これが左脳の声です。
「意味」を考えるのが左脳です。
いま、やらないといけないのは左脳を黙らせることです。
どうやるか。
それは、左脳が嫌がることを徹底的にするんです。
そうしたら、やがて、左脳はあきらめて引き下がります。

「あぁ、面白くない」
「あぁ、退屈」
こう思ったとしたら、それは、左脳の抵抗です。
左脳は、常に意味を探しています。
意味に飢えています。
意味のない行動を心底嫌がります。

あなたがやるべきは、見た通りに鉛筆を動かすことだけです。
あなたは、見たものを自動で記録する機械になるんです。
あなたの見た世界が、あなたの鉛筆でつくられていきます。
今この瞬間は、あなたが見た一点、あなたの鉛筆の先にしかありません。

あなたは、手元を見たいという誘惑にかられるでしょう。
それは、自分が作り出したものを確認したいという欲求です。
自分がしてることの意味を知りたいんです。
これも、意味を見出したいという左脳が作り出した欲求です。
意味のことは忘れるんです。
何も考えずに、シワを描くマシンになりきるんです。
重要なのは、一定のペースで描き続けることです。
目に入る全てのシワを描くことです。

シワは分岐しています。
分岐したシワはさらに分岐します。
よくみるともっと細かいシワが見えてきます。
シワの奥に同じパターンのシワが現れます。
これは、一種のフラクタルです。

フラクタルというのは拡大すると同じ形が現れるパターンです。
見てると、どんどん吸い込まれていきます。
一定のペースでシワを描いてると、シワの複雑な形にどんどん引き込まれていきます。
シワの美しさに魅了されます。

まるで、自分がシワの中に取り込まれていくようです。
手のひらのなかに全宇宙があるように感じます。
そして、自分もシワの一部になった気がします。

これです。
これが右脳の世界です。
ジルが言ってたのと同じでしょ。
世界と自分が一体となった感覚です。
そして、右脳の世界は時間が流れていません。

時間を感じるのは左脳です。
左脳が重要視するのは意味です。
時間当たりの意味でその価値を測ります。
その時間に、どれだけ意味を感じたかで満足度が上がります。
だから、意味なく時間が流れることに我慢できません。
それを、退屈といいます。

右脳は、時間当たりの効率など考えません。
今、この瞬間の世界をどれだけ感じ取れたかが重要です。
だから、右脳の世界にどっぷりつかってるとき、時間は流れていないし、自分も消えてるんです。
ジルは、その時、この上ない幸福を感じたと言います。
ベティは、美しさを感じるといいます。
手のひらのシワに美しさを感じるんです。

「美」とは何か、少しわかった気がします。
「美」とは右脳が味わうものです。
それは、左脳の対極です。
つまり、「意味」の対極に「美」はあるんです。
意味とは、意識が判断する一種の価値です。
意味を判断するとき、自分は世界を外から見ています。
「美」を感じるとき、自分は世界と一体となっています。
このときの世界というのは、純粋の知覚したものだけで出来ています。

意味とは、知覚の背後にあるものです。
逆に言えば、知覚したものはそれほど重要じゃありません。
手のひらのシワをみて、「シワ」と認識したらそれで終わりです。
「シワ」と名前で呼んだ瞬間、意味が決まりました。
それ以上、見る必要はありません。
これが左脳です。
「美」と「意味」とは対立する概念で、両立しないのかもしれません。

さて、「シワ」を描いていると、いつの間にか右脳の世界にどっぷり浸ってしまいました。
右脳の世界は時間が存在しないので、そのままではいつまでも描いてしまいます。
そこから強制的に抜け出させるためにタイマーをセットしていたわけです。
というか、タイマーをセットすることで、「後何分」とか気にしなくてもいいようにしたわけです。
時間を気にするのは左脳です。
その左脳の活動を少しでも減らすためにタイマーをセットしたわけです。


こうして描いたシワの絵がこれです。

やっぱり、何がなんかわかりません。
はたして、こんなことして絵が上手くなるんでしょうか?

ベティのデッサンのプログラムは5日間のコースです。
あるクラスは、ほとんどの人がこの授業が嫌だというので、これを省いて、次の実践的な授業に割り当てたことがあったそうです。
そうしたら、そのクラスは、他のクラスにくらべてデッサンの能力が明らかに低くなったそうです。
どうも、この訓練をすることで、表には表れないデッサンの実力が付くようです。
それは、左脳を抑制して右脳を活性化させることです。
左脳が静まって、時間を忘れて集中する感覚を経験することで、絵を描く時に使う脳の感覚を体で覚えることができるようです。

そうは言っても、今、描いたのは、とてもデッサンとは呼べません。
次は、これを実際のデッサンに活用する段階です。

次に学ぶべきは正確に描くことです。
見たままをそのまま描けばいいんですけど、これが意外と難しいんですよ。
頭の中で余計な解釈をしてしまってうまく描けません。
前回、子供が四角い立方体を描こうとすると、こんな風にゆがんだ立方体になるって話をしました。

これは、「四角」って言葉から、正方形を描くからです。
でも、正解はこうです。

じつは、どこにも正方形はないんです。
どの面もゆがんだ正方形なんです。
ところが全体を見ると、ゆがんでない立方体が見えるんですよ。
正確に見た通りに描きさえすれば、こう描けるはずなんです。
これが、見た通りに描くのは意外と難しいってことです。

そこで、一つのツールを使います。
それをピクチャー・プレーンといいます。
ピクチャー・プレーンは真ん中に十字の線が入った透明なアクリル板です。

これを描きたい対象に透かして、構図を決めます。
構図が決まったら、アクリル板にペンで直接絵を描きます。

全体が描けたら紙をかぶせて、ペンで描いた線をなぞります。

そしたら、こんな風に見たまま、正確に描けます。

この装置、実は、大昔から使われていました。
たとえば、16世紀の北方ルネサンスの画家アルブレヒト・デューラーもピクチャー・プレーンを使っていました。

これはデューラーが残した版画です。

ピクチャー・プレーンの升目を通して正確に写し取ろうとしていますよね。
それから、19世紀のオランダの画家、ゴッホもピクチャー・プレーンを使って風景画を描いていました。

ゴッホが作ったピクチャー・プレーンは、鉄と木で出来ていて重さが13キロもありました。
それと画材を担いで海辺まで長い距離を歩いて持って行って、装置を組み立てるんです。
そうやって一日絵を描いたら、夕方、またこれを担いで家まで帰ってきます。
これを毎日繰り返していたそうです。
こんな風にして、ゴッホの『サント・マリーの浜辺の釣り船』の絵は描かれました。

こんな風に、デューラーやゴッホですら、ピクチャー・プレーンを使ってたんですから、いかに、見たままの絵を描くのが難しいかってわかりますよね。

さて、この本では、ピクチャー・プレーンをつかって手を描きます。

それも、こんな風に、指を自分に向けて折り曲げた手です。
指が前後の遠近になってるのを描くのってかなり難しいんです。
つい、どんなふうに曲がってるのか見ようと、顔をずらして横から見ようとするんですけど、これは絶対にしてはいけません。
ピクチャー・プレーンを使って描くときには、いくつか約束事があります。
まずは、片目をつぶることです。
右目と左目では違うものが見えますけど、絵は一つの見方しか描けません。
だから、片目をつぶるんです。

それから、頭は絶対に動かしてはいけません。
頭を動かすと、別の見え方になってしまって正しく描けません。
そして、一番重要なのは、見たものを正確にコピーすることだけに集中することです。
「この指はどう曲がっているのだろう」とか、「どうやったらうまく描けるのだろう」とか考えてはいけません。
考えるとは「意味」を見つけることです。
「意味」を処理するのは左脳です。
使うのは右脳だけです。

右脳を使うには、単純な作業に徹することです。
そのことは、シワを描く訓練でわかったはずです。
ここでも、ただ見たままを描くことに集中するんです。
何も考えず、見たままをコピーするマシンになりきるんです。

でも、それじゃぁ、カメラと一緒ですよね。
誰がやっても同じ結果となります。
個性なんか生まれないじゃないですか。

そう思いますよね。
でも、さっき見ましたよね。
あのゴッホも、ピクチャー・プレーンを使ってたんです。
でも、描いた作品はどうでしたか。

どこから見てもゴッホじゃないですか。
構図は写真のように正確です。
でも、色の使い方とか、ゴッホらしさがにじみでてますよね。

右脳を使うというのはこういうことです。
どこまでも世界を正確に描こうとするんです。
そしたら、自分が消えて、自分が世界と一体になります。
その時描かれる世界に、自分そのものがにじみ出るんです。

どうやったらゴッホらしい絵になるとか、理屈で考えたらゴッホの絵は描けません。
自分らしさ、ゴッホらしさって思うのは左脳です。
本当の自分は、世界と一体となった時、にじみ出るものなんです。
ただ世界を正確に写し取ってるだけなのに、いつの間にか、それは自分そのものを表現してるんです。

アートってそういうことだと思います。
それは、音楽も一緒です。
楽譜に書いてあるとおり正確に演奏するんです。
すると、やがて自分は音楽と一体となって、音楽と自分の境がなくなります。
その時、初めて、その人らしさが演奏に現れるんです。

それは言葉で語ることはできません。
言葉で語れるのは楽譜で書けるとこまでです。

楽譜で表現できないものを世界に表現するのが右脳です。
いや、世界に表現するんじゃありません。
そうじゃなくて、自分と世界が一体となるんです。
その時表現された絵や音楽が、その人らしい作品となるんです。


はい、今回はここまでです。
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それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!