第517回 意味は脳のどこにある?第517回 


ロボマインド・プロジェクト、第517弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回、第516回から、ラマチャンドラン博士の『脳の中の天使』の視覚の章を読んでいます。

「見る」って受動的な行為に思えますけど、それは意識からしか見ていません。
心の処理の全体を見ると、「見る」とは、無意識が世界を作り出して、意識がそれを受け取るってダイナミックな行為なんです。
つまり、意識は外にある物理世界を直接見ているわけじゃありません。
例えば、色です。
赤や緑の色が物理世界にあるわけじゃなくて、色があるのは脳の中です。
網膜が検知した可視光を意識が感じれるように脳のV4野で作り出したのが色です。
それと同じで、動きは脳のMT野が作り出しています。
たとえば動いてる自動車を見たとします。
それを網膜で1秒に数回とか写真にとるわけです。
だから、脳に送られるのは飛び飛びの画像です。
それをそのまま意識が見たら、パッパッパッって飛び飛びに自動車が動いているように感じますよね。
でも、そう感じないのは、スムーズに動いているように脳内で作り出してるからです。
それをしてるのがMT野です。
ここまでが前回の話です。
今回は、そのさらに先の処理です。
それは、見たものが、「何」かと判断する処理です。
つまり、ものの「意味」です。

「色」や「動き」って、現実世界に存在するものと思っていましたけど、存在するのは脳の中でした。
だから、「色」や「動き」とは何かって聞かれたら、ニューロンとか脳の機能で定義するのが正解なんですよ。
それと同じです。
「意味」とは何かって聞かれたら、ニューロンや脳の機能で定義するのが正解なんです。

ただ、今まで意味は言葉とか、概念関係とか、AIだとベクトルで定義していました。そして、どれが正解か未だにわかりません。
それが、ようやくわかりました。
正解は、「脳の機能で定義する」です。
じゃぁ、当然、その次の疑問がでてきますよね。
これが今回のテーマです。
意味は脳のどこにある?
それでは始めましょう!

ジョンは60歳のとき脳梗塞になって、今までできていたことができなくなりました。
最初の兆候は、妻の顔を認識できないことでした。
妻だけでなく人の顔を認識できなくなっていました。
他人だけでなく自分の顔もです。
鏡に映るのが自分だということはわかっていましたけど、それが自分だと思えないと言います。

これは、相貌失認といわれる脳障害です。
これは脳の紡錘状回を損傷したときに起こります。

紡錘状回は側頭葉にあって、その中に顔領域があります。
ここが損傷すると顔を認識できなくなります。

「視力は大丈夫です」ってジョンは言います。
「眼でなくて心がピンボケになっているんです」って言います。
わからなくなったのは顔だけじゃありません。
たとえばニンジンを見せて「何かわかりますか?」って聞きます。

そしたら「細長くて先に房がありますね。ペンキ塗りのはけですか?」って言います。
どうも、部分は認識できるようです。
できないのは全体を認識することのようです。

顔にしても同じです。
目や鼻や口の形ははっきりと見えます。
でも顔全体を見て、誰かがわからないそうです。

よく考えたら、これ、不思議です。
なぜなら、全体って部分の集合です。
でも、ジョンをみると、そうじゃないってことがわかります。
じゃぁ、全体って何でしょう?

相貌失認は右脳の紡錘状回が損傷したときになりやすいと言われます。
ここで、左脳と右脳の処理の違いを見てみます。
これは、左脳が損傷して右脳で処理する人と、右脳が損傷して左脳で処理する人に、左の元の絵を模写してもらった結果です。

右脳は全体を捉えていますけど、中身の細かい部分が抜けていますよね。
左脳は、中の部分部分のつながりは描けてますけど、全体が抜けていますよね。
ここから、右脳は全体、左脳は部分を認識してるってわかります。

つまりね、部分をつなげて行っても全体にならないんですよ。
いや、ならないことはないです。
そうじゃなくて、部分をつなげて作った全体と、本当の全体とは違うんです。
または、部分をつなげて作った全体と、僕らがパッと見て認識する全体とは別の処理だってことです。
部分をつなげて理解するのは左脳で、全体をパッとみて一瞬で理解するのは右脳です。

親しい人の顔を認識するとき、目の形、鼻の形とかって特徴を積み重ねて判断しないでしょ。
パッと見ただけで、すぐに誰々さんってわかるでしょ。
これが右脳の処理です。

目はものを見るもの、鼻は臭いを嗅ぐものって意味を認識するのが左脳です。
目、鼻、口の位置関係とか全体のパターンを認識するのが右脳です。
かわいい顔とか、きれいな顔とかって顔の印象を感じるのは右脳です。

ジョンの場合も、右脳の紡錘状回が損傷して、部分だけで判断したんでしょう。
ニンジンを見て、細長いところを持って、ふさふさしたとこにペンキを付ければペンキのはけになるって考えたわけです。
まさに、機能を組み合わせて判断したわけです。
でも機能をいくら組み合わせても全体の形にはなりません。

僕らは無意識で左脳と右脳を瞬時に切り替えているんですよ。
「何々さん、おはよう」っていう時は、右脳のイメージで一瞬で誰か判断します。
「あれ、髪、切ったの?」っていう時は、左脳で部分を認識しています。
見たものが何か、あの人が誰かって判断は、右脳と左脳の両方の機能を使ってるってわけです。

さて、ジョンは熱心な園芸家でした。
だから、病気の後も庭の垣根を刈り込んだりしていました。
ところが、花と雑草の区別がつかなくて、花を刈り取ることがよくあったそうです。
見たものが何かわからないからです。
かといって、見えないわけじゃないので、歩いたり、時には自動車の運転もしていました。
ただ、すれ違う車がジャガーなのか、ボルボなのか、車種はわかっていません。

ジョンは、車種といった細かな違いはわからないですけど、動物と植物の違いとか、大きな概念の違いは見て判断できました。
それから、見て何かわからなくても、ニンジンとは何か、ボルボとはどんな車かといった知識は持っていました。
知識の部分も損なわれていなかったようです。

ここで、脳内の二種類の視覚処理経路について説明します。

目からの視覚情報は、まず後頭葉の一次視覚野に送られます。
そこから頭頂葉に向かう背側視覚路と、側頭葉に向かう腹側視覚路の二つにわかれます。
背側視覚路は、ものの位置とか動きを分析する経路で「どこの経路」とも呼ばれています。
腹側視覚路は、見たものが「何か」を分析する経路で、「何の経路」とも言われています。

「どこの経路」は、自分を中心とした空間的な位置を分析する経路で、指さしたり、飛んできたボールをよけたりするときに使います。
「何の経路」は、何かを判断する経路で、その一つが顔認識です。

ジョンの場合、何か認識する機能が損なわれましたけど、空間的な位置関係や、どう行動したらいいかはわかります。
つまり、どこの経路は生きているわけです。
だから、歩いたり自動車の運転もできました。
垣根から飛び出てる枝や雑草を刈り取ることもできます。
ただし、見たものが何かを認識できないので、花まで刈り取ってしまうわけです。

さて、視覚処理に二つの経路があるといいましたけど、ラマチャンドラン博士は第三の経路もあると言います。
それは、「何の経路」「どこの経路」に対して「それでの経路」と言います。
ただ、「それでの経路」っていうのが、ちょっとわかりにくいんですよ。

「それで」というのは、「それで、どうする」っていうことです。
つまり、どう行動するか決める経路ってことです。

でも、指さししたり、ボールをよけたり、どう行動するかって処理は「どこの経路」でもやってましたよね。

ここで重要な観点が出てきます。
それは意識です。

何の経路は、見たものが「何か」がわかる経路です。
わかるとか、わからないとかって思うのは意識です。
つまり、何の経路は、必然的に意識が存在するわけです。

一方、どこの経路には意識がありません。
飛んできたボールを思わずよけるとか、意識せずにする行動です。

さて、第三の処理経路も行動に関することですけど、これは意識が決める行動です。
意識的に、次にどう行動するか決めるときの処理経路です。
それが、「それで」の経路です。

たとえば知ってる人に朝会ったら「おはよう」って声をかけるとかです。
これは、意識で「誰か」を判断して、その状況に対する適切な行動を取ったわけです。
すべて意識が認識して行動していますよね。
この行動を決定するのが第三の経路、「それで」の経路です。

それじゃぁ、この「それで」の経路は、何を元に次の行動を決めるんでしょう。
それは、感情とか情動です。

知ってる顔をみたとき、「親しい」って感情を感じたら「おはよう」って親しげにあいさつするとかです。
好きな食べ物を「食べますか?」って勧められたら、「はい、喜んでいただきます」ってなりますよね。
苦手な食べ物を勧められたら、「いや、私はいいです」って断ったりします。

どちらも、好きとか嫌いとかって感情をもとに行動を決定しています。
ものを見て、何かを判断します。
そして、その次に必要になってくるのは感情とか情動です。
感情を元に、意識はどう行動するかを決めます。

意味を認識するのは意識です。
そう考えると、感情とか情動も意味を構成する要素と言えますよね。

感情とか情動を発生するのは大脳辺縁系です。
大脳辺縁系ではドーパミンとかセロトニンといった神経伝達物質を発生して、意識はこれらを受け取って様々な感情を感じます。

さて、ここで珍しい症例を紹介します。
それは、カプグラ症候群という症例です。
どういう症例かというと、これは、親しい人がニセモノと思う症例です。
たとえば、自分の母親を見て、姿かたちはそっくりだけど、あれは誰かが変装してるとか、宇宙人とかって思うそうです。
この症例、おそらく、「それで」の経路が損傷しているんです。

顔をみて母親とわかります。
通常なら、母親と認識したら、第三の経路でセロトニンといった安心とか親しみに関する神経伝達物質が発生します。
意識は、それを受けて親しみのある「母親」と感じるわけです。
ところが、カプグラ症候群は、第三の経路が損傷してるから、母親の顔をみても親しみを感じません。

さて、ここです。
無意識の役割は世界を作ることです。
その時の材料が、脳内で分析された情報です。
それらの情報を元に、最もありそうな世界を作り上げるのが無意識の役割です。

それから、もう一つ重要なことがあります。
それは、無意識が作った世界は、意識は疑ったり否定することができません。
意識ができるのは、ただ受け入れるだけです。

山道を歩いていて、蛇が出てきたとします。
怖いと思いますよね。
現実世界の状況を基に、怖い蛇が出てきた世界を作りだしたのは無意識です。
意識がいくら「怖くない」と思おうとしても怖いですよね。
恐怖の感情は消えません。

蛇なんかいないと思っても、蛇は消えないですよね。
これが、無意識が作った世界は、意識は受け入れるしかないってことです。

たとえ、それが現実に合わないとしてもです。
たとえば、第508回で紹介したこんな実験があります。
二人の女性の写真を見せて、被験者に好きな方を選んでもらいます(A)。
この場合なら、髪の長い女性を選んでますよね(B)
そして選んだ女性の写真を被験者に渡します(C)。
このとき、手品のトリックを使って写真をすり替えるんです。
だから、被験者は、短い髪の女性の写真を受け取ります(D)。

ここから奇妙なことが起こります。
被験者は自分が選んだ写真を渡されたと思っていますよね。
そのあと、「この女性のどこが気に入りましたか?」って質問されます。
そしたら、渡された写真を見て、「イヤリングが」とか「髪型が」とかって、何の疑問もなくスラスラ答えるんですよ。
じぶんが選んでないのにですよ。
不思議でしょ。

この答えを作り上げてるのが無意識です。
無意識は、矛盾のない世界を作るのが役目でしたよね。

好きな女性を選んだのは自分で、選んだのには理由があるはずです。
それらの条件から矛盾のない世界を無意識は作るわけです。
つまり、今見てる写真から、好きになった理由をその場ででっち上げるんです。

意識は、無意識が作った世界を疑うことはありません。
だから、無意識がでっち上げたとおり、「イヤリングが」とかって答えるわけです。

注目すべきは、無意識が作り出す世界って、目に見える世界だけじゃなくて、原因とか思考まで作り上げるってことです。
これが意識と無意識の関係です。
なかなか巧妙にできてるでしょ。

こう考えたら、カプグラ症候群も理解できますよね。
顔はお母さんそっくりだけど、お母さんに感じる親しみは感じられない。
この二つの条件を満たす世界を無意識は作りました。
それが、「母親は偽物だ」とか「宇宙人だ」といった考えです。
どんなに突飛なことでも、意識は、無意識が作りだした世界を疑うことができません。
だから、「母親は偽物だ」って本気で言うわけです。

さて、最後にジョンの話に戻ります。
ラマチャンドラン博士がジョンに花の絵を描かせました。
園芸家だったので、花のに関する知識はたっぷりあります。
何も見ないで、自分の好きな花を描いてもらいましたけど、それが奇妙な絵ばかりなんですよ。
たとえばこれです。
何の花かわかりますか?

これ、チューリップだそうです。


 
全然違いますよね。
じゃぁ、これは何か分かりますか?

これは、バラだそうです。
 
似ても似つかないですよね。

じゃぁ、これはどうでしょう?

キノコにしか見えないですよね。
これは、ラッパスイセンらしいです。
 
もはや、花とも言えないですよね。
でも、本人は、どれも自信満々です。
これはいったいどういうことでしょう?

ジョンは、ニンジンを見ても、それが何かわからなかったですけど、ニンジンとは何かは知っていました。
つまり、自分はニンジンを知ってるということは知っています。
ただ、ニンジン全体のイメージを持てないだけです。
それから、細かなイメージの違いは判断できないですけど、植物とか動物とか、大きな違いは区別がつきました。

以上のことから考えると、おそらくこういうことだと思います。
無意識は、自分はチューリップについてよく知ってるし、当然、チューリップを描けると思っています。
今のジョンはチューリップの形まではわかりませんけど、花らしきものぐらいはわかります。
これらを無意識が矛盾なく解決するとすれば、花らしき絵を描かせて、それをチューリップと思わせることです。
そうして、描いたチューリップがこれです。

似ても似つきませんけど、無意識はこれがチューリップと言います。
意識は、無意識が言うことを疑うことをしません。
だから、自信満々にこれがチューリップだっていうわけです。
これが、ジョンに起こったことです。

どうみても似ても似つかないニセモノのチューリップを、本物と信じて疑わないわけです。
これって、いってみればカプグラ症候群の逆です。
世にも珍しい逆カプグラ症候群といえます。

いやぁ、それにしても、意味を理解するには脳内の様々な機能を駆使してるってわかりましたよね。
どれかが少しでも機能しなくなると、おかしなことが起こります。
意味とは脳の機能から定義しないといけないってわかりましたよね。
ところが、今までの言語学や自然言語処理では、脳や意識、無意識の機能は全く考慮していません。
そろそろ、意識や脳を中心に意味を捉えるべきじゃないでしょうか。

はい、今回はここまでです。
この動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回もおっ楽しみに!