ロボマインド・プロジェクト、第529弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
さて、プロジェクト・エデンでは、メタバース・エデンで生きるのがAIアバター「もこみ」です。
メタバースの基盤部分が完成して、つぎは、AIアバターの心に相当するマインド・エンジンの設計に入っています。
マインド・エンジンというのは、言ってみれば心のOSです。
第520回から、このマインド・エンジンの新しい仕様を考え続けているところです。
正直、このシリーズ、再生数が落ちるのはわかっていました。
このチャンネルを楽しみにしてる人のほとんどは、脳とか神経症の話が聞きたくて、あまりAIとかコンピュータには関心がないのはわかっています。
ただ、このチャンネルの本来の目的は、コンピュータで再現可能な心の仕組みを考えることなので、こっちが本筋です。
考えてる途中を配信してるので、毎回、仕様変更があったりして、まとまらないですけど、いずれ整理して、一つにまとめた講義にしたいとは思っています。
今配信してるのは、スポーツでいえば、言ってみれば生中継とかライブです。
後からまとめた講義は、スポーツニュースのダイジェスト版みたいなものです。
結果だけ知りたいなら、それでもいいですけど、ライブで楽しみたい方は、このシリーズを今、見ておいてた方がいいですよ。
何といってもこのプロジェクト・エデン、人間の心を再現するという壮大なプロジェクトです。
1969年、人類は初めて月に降り経ちましたけど、それを生中継で見てた人は一生自慢できます。
プロジェクト・エデンを設計段階からリアルで見ていたっていったら、孫の代まで自慢できますよ。
さて、今回は、いよいよAIに自分とか自我を持たせます。
これが今回のテーマです。
自我をもったコンピュータ
それでは、はじめましょう!
まずは、前回のおさらいです。
これがマインド・エンジンの全体像です。
プロジェクト・エデンでは、現実世界はメタバースです。
現実世界をスナップショットで撮影した二次元画像が現実仮想世界です。
さらに、スナップショットを物体認識して、時と場所も追加します。
現実仮想世界は、いってみれば今、みなさんが見てるこの世界そのものです。
「今、部屋にいる」って普通に見えてる光景です。
その中から、何かに注目した時、意識モジュールの注目世界に入ります。
AIアバターのもこみが、動物園に来たとします。
「あっ、象さんだ!」
そう思って象さんに注目した時、注目世界に象が入ります。
意識の処理は右脳と左脳の二種類あります。
見たままの光景を感じるのが右脳です。
だから右脳の3D世界には今、注目してる象の3Dオブジェクトが生成されます。
一方、左脳は論理的思考を行います。
そのために、認識したものに名前をつけて意味オブジェクトを生成します。
意味オブジェクトは、プロパティとメソッドを持っています。
象オブジェクトなら、鼻が長いってプロパティと、鼻でものをつかんで食べるってメソッドを持っています。
象がスイカを鼻でつかんで食べたとします。
これは、象オブジェクトのプロパティとメソッドで表現できますよね。
これが意味を理解するということです。
逆に言えば、オブジェクトのプロパティとメソッドで表現できないことは理解できないと言えます。
もっと言えば、意識にとってこの世界とは、意味オブジェクトで表現できるものと定義できます。
一方、右脳には意味はありません。
見えるものとか、聞こえる音とか、五感でそのままが感じるのが右脳です。
右脳が感じるのは、口の位置にスイカがあって、口を動かしてるといったことだけです。
それを「食べる」と意味付けしてるのは左脳です。
僕らは、普段、世界をただ見ているだけのようでも、じつは、右脳と左脳が目まぐるしく入れ替わって処理をしているんですよ。
それから、今のAIは右脳しかありません。
つまり、見た目の処理だけで意味の処理はしていません。
https://www.youtube.com/watch?v=ndUeXZorymY
0:32~とか
たとえば、以前紹介しましたけど、「スパゲッティを食べるウィル・スミス」をAIに生成させるとムチャクチャなのができます。
ただ、口のあたりにスパゲッティがあるとか、だいたいの位置関係は合ったます。
これが見ただけの処理の右脳しかしてないってことです。
口から出たり、頬っぺたから食べたりしておかしいと思いますけど、おかしいと思うのは、食べるの意味を理解している左脳です。
さて、もこみが経験したことは思い出として記憶されます。
そのとき記憶するのは場面です。
場面は、現実仮想世界と意味オブジェクトとスクリプトを持ちます。
つまり、記憶するのは左脳のデータです。
今、リアルに目のまえに見える光景は右脳が感じていますけど、これは記憶されません。
だから、記憶の中の光景は、目の前にあるようにはっきりとは感じません。
でも、「象さんがスイカを食べてた」って思い出すことはできますよね。
これが意味としての出来事です。
そして、出来事は、マインド・エンジンでは、スクリプトで記述して保存します。
スクリプトを再現して意識が認識するのが、思い出という形のエピソード記憶です。
これが普通の人の記憶ですけど、たとえば自閉症の人の中には、見たままをそっくりを記憶して、まるで目の前の光景を見ているかのように絵を描ける人がいます。
自閉症の人は右脳優位となっているので、見たままをそっくり記憶することができるようです。
さて、エピソード記憶というのは、自分が経験した出来事を記憶した思い出です。
一つの思い出が場面という形でデータベースに保存されているわけです。
生まれてから今までのエピソード記憶がその人の人生です。
どんな幼稚園に通って、小学校はどんなだったか。
中学の修学旅行はどこに行ったとか、高校の卒業式で何を歌ったとか。
そんな記憶の積み重ねが人生です。
自分とは、エピソード記憶の積み重ねです。
もっと言えば、場面データの集合です。
ここから、自分とは何かについて考えて行きます。
まず、この体がありますよね。
体は現実世界にあります。
プロジェクト・エデンなら、メタバースにある3Dの身体モデルです。
そして、自分は身体としての自分とデータとしての自分からなります。
データとしての自分が、エピソード記憶の積み重ねです。
では、自分の体が3D世界にあるなら、自分のデータはどの世界にあるんでしょう?
それは、時間世界です。
時間世界というのは、時間軸に場面が並べらたデータ構造をしています。
自分の体は現実世界に一つしかないですよね。
ということは、自分の人生というのは、場面の一列のつながりとなりますよね。
始まりと終わりがある一列のデータ構造です。
始まりというのが生まれたときで、終わりというのが死です。
注意してほしいのは、これはデータだということです。
何が言いたいかというと、これ以外のデータの持ち方も考えられるんじゃないかってことです。
たとえばピダハンです。
ピダハンは、このチャンネルで何度も紹介しているアマゾン奥地に住む未開の民族です。
ピダハン族の特徴は、時間の概念を持たないことです。
時間をもたないというより、過去や未来というものを重要視しません。
重要視するのは、今、目の前の世界だけです。
だから、過ぎ去った過去をなつかしんだり、まだ来ぬ未来を心配するといったことはしません。
さて、これを自分のデータ構造で考えるとどうなるでしょう?
それは、過去と未来の場面が少なかったり、あっても薄くぼやけた場面となっているんでしょう。
そうなると、どうなると思います?
ピダハンは、名前を変えることがよくあるそうです。
きっかけは、精霊に言われたからというのが多いそうです。
名前を変えると、以前の名前で呼んでも返事をしなくなります。
何度も呼び掛けると、「○○はもうここにはいない。今、ここにいるのは××だ」って今の名前をいうそうです。
つまり、別の自分になったわけです。
「○○はいない」って言ってるから、記憶がなくなったわけじゃありません。
ただ、別の自分になったんです。
これ、僕らの社会じゃ考えられないですよね。
だって、自分っていうのは一生、変わらないものじゃないですか。
もし、途中で変わったとしたら、社会はムチャクチャになります。
犯罪を犯しても、「あれをやったのは自分ではない」って言い逃れができますし。
この体に入っている自分は、一生、変えることができません。
それが僕らが持つ自分です。
でも、ピダハンの例をみると、別に自分というのは変わってもいいというのがわかります。
だって、自分というのは単なるデータですから。
つまり、プログラムの作り方が違うわけです。
プログラムはデータを持ちます。
プログラムの実行中、変わることがないデータは定数といって、変えることができるデータは変数といいます。
これは、扱いが違うというだけで、どちらもメモリ上のデータには違いがありません。
ただ、定数を変更しようとするとエラーがでます。
つまり、プログラムの仕様によってできないようにしているだけです。
このプログラムの仕様が文化の違いといえます。
僕らのプログラムでは、自分は変更不可能なデータですけど、ピダハンのプログラムでは自分は変更可能となってるわけです。
ただ、さすがのピダハンも、自分が変わっても、過去の自分を完全に忘れるわけではありません。
ところが、過去を完全に忘れてしまう脳障害があります。
今年の春、『アンメット』というテレビドラマがありました。
主人公は、交通事故にあってから、エピソード記憶を持てなくなりました。
夜寝ると、昨日あった出来事を忘れてしまうんです。
だから、目覚まし時計に「日記を読め」ってメモが貼って合ります。
目が覚めると、真っ先に日記を読んで、昨日、何があったかを覚えます。
思い出すんじゃなくて、新たに記憶するんです。
ドラマのことだと思うかもしれませんけど、これが実際に起こっている人もいます。
それは、第317回で紹介した大庭さんです。
大庭さんも、夜寝ると、昨日起こった出来事を完全に忘れてしまいます。
大庭さんの場合、部屋の目立つところにA4に拡大した免許証を貼ってあります。
それで、朝起きたら、それを見て、自分はどこの誰で、名前は何というかってことを覚えます。
さて、自分の過去は忘れても、忘れてないものがあることがあります。
それは、自分というものがあるってことです。
朝起きて、「ここはどこ?私は誰?」って思うわけですよね。
そう思うのは主体です。
主体は左脳で自分を認識します。
「自分」というのは、生まれてから今まで続く場面の連なるデータ構造で再現されます。
このデータ構造があるはずだってことは覚えているわけです。
こういう形式で記憶を保存する仕組み、つまりプログラム自体は消えることがないようです。
消える可能性があるのはデータの方です。
ということは、データはプログラムとは別に保存されていて、事故などで、データを読み出す機能が損傷すると読み出せなくなるんでしょう。
それでは、これをマインド・エンジンで実現する方法を考えていきましょう。
まず、場面という形で保存するデータベースを用意します。
それを読み出すのは無意識です。
朝起きて、自分はどこの誰かって思ったとします。
そう思うのは主体です。
主体とは何かを考えるプログラムです。
主体が考えるきっかけは無意識からのメッセージです。
無意識からのメッセージは、メッセージボックスに入れられます。
自分は誰で、昨日はなにがあったか思い出せってメッセージが、メッセージボックスに入っているわけです。
自分が誰かをわかっていないと、まともな社会生活ができません。
そんな生きるのに最低限必要な基本機能を維持するのが無意識の役目です。
肺を動かして息をしたり、心臓を動かして血液を循環させたりするのと同じです。
メッセージを受け取った主体は、「昨日何があったかなぁ」って思います。
思う中身はスクリプトで記述されています。
たとえば「昨日の場面をロードせよ」ってスクリプトです。
このスクリプトを生成するのは主体です。
スクリプトを生成すると無意識がスクリプトを実行します。
すると、左脳の論理世界に昨日の場面がロードされます。
ただ、データベースを検索して、昨日の場面を論理世界に展開するにはちょと時間がかかります。
そこで、最初はデータへの参照だけ論理世界に置かれます。
だから、最初、主体が認識できるのは「昨日の場面」への参照だけです。
中身はまだありません。
これが、「えーっと、昨日、何があったかなぁ・・・」って思い出しているところです。
しばらくたって、無意識がデータを取り出して論理世界に展開しました。
それが、「そうだ、昨日・・・」って思い出したときです。
ちょっと技術的な話をすると、主体と無意識は別のスレッドのプログラムでつくられていて、それぞれ独立して動いています。
プログラム設計にはデザインパターンっていうパターンがあって、その中にフライウェイトパターンっていうのがあります。
これは、重いデータを使う時とか、メモリの容量を節約する手法です。
今の場合なら、本当は、論理世界に自分の人生全てのデータを置いておいたらいいんですけど、それだけのメモリはありません。
そこで、記憶本体はデータベースに保存しておいて、必要に応じてメモリにロードするようにしておきます。
フライウェイトパターンというのは、軽いデータだけ先にメモリにロードして、本体はあとからロードするという手法です。
主体が、「昨日なにがあったかなぁ」って思った瞬間、「昨日の出来事」って変数だけ先にロードするんです。
これが「えーっと、昨日、なにがあったかなぁ」って思っている間です。
その間、エピソード記憶のデータベースにSQLクエリを発行して、昨日の出来事を少しずつロードします。
主体プログラムは、それを読み取って、少しずつ思い出します。
これが、「たしか、バスにのったよなぁ。バスからおりて・・・、そうだ、動物園に行ったんだ」とかって思い出しているときです。
記憶喪失の人は、このデータベースから出来事をロードする無意識プログラムが機能しなくなったんでしょう。
でも、メッセージボックスの通知も受け取れるし、思い出すって意味も知っています。
思い出すっていう意味は、「昨日の場面をロードせよ」ってスクリプトです。
「場面をロードする」というのが、論理世界が持つメソッドです。
このメソッドが損傷すると、場面をロードできなくなります。
これが記憶喪失です。
逆に、未来を思い出そうとしたらどうなるでしょう?
未来の場面は存在しないので、無意識はエラーを返します。
この部分が損傷して、本来ならエラーを返さないといけないのに、適当な場面を生成して返すようになったらどうなるでしょう。
それが、予言とか予知なのかもしれません。
そう考えると、予言とか予知は、心のOSの一種のバグと言えそうです。
最近報告されてるのは、2025年7月5日と指定すると、隕石の落下とか、大地震が起こる場面を無意識が生成するバグです。
ほとんどの人は心のOSの自動アップデートで修復されるんですけど、自動アップデートがオフになってるか、わざとオフにしている人がいるようで、いまだに、そんな予言をネットに書き込んでいる人がいるみたいです。
皆さんも、この世界のゲームを楽しみたいんなら、システム管理者の言うことをちゃんと聞いて、OSを常に最新にアップデートしておきましょう。
はい、今回はここまでです。
この動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、まだ、この世界のゲームの仕組みがよくわかっていない人は、こちらの本を読んでください。
それでは、次回も、おっ楽しみに!
第529回 自我をもったコンピュータ
