ロボマインド・プロジェクト、第535弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
ラマチャンドラン博士の『脳なかの天使』を読んでいますけど、今回は言語です。
今までいろんな本を読んできたので、そんなに新しい話は無いかと思っていたんですけど、いきなり聞いたことがない話が出てきました。
ハムディ博士はスキーで頭をけがして脳卒中を起こして右半身が麻痺しました。
右半身が麻痺するということは損傷したのは左脳です。
ラマチャンドラン博士は、ハムディ博士の右足の足裏をかかとから小指までなぞりました。
すると、足の親指が反り返って、他の指が扇型に開きます。
これをバビンスキー反射といいます。
これは、錐体路といって、脳の運動皮質から脊髄に入る随意運動経路に障害があるときに起こります。
なぜ指が反り返るかわかっていませんが、ラマチャンドラン博士が言うには、これは一種の先祖返りだと言います。
いきなり、面白い話をぶっこんできますよねぇ。
どういうことかというと、指が開く反射は引っ込め反射といって下等哺乳類に見られる原始反射だそうです。
たとえば、ハリネズミを触ったときハリをたてるのもひっこめ反射です。
https://www.youtube.com/watch?v=uwRJNHEUcO0
0:26~0:30ぐらい。
この反射は霊長類ではあまり見られません。
なぜかと言うと、霊長類は錐体路が発達して、随意筋で外に広がろうとする反射を抑えるからです。
霊長類は、指を内側に曲げて物をつかむことができるようになりましたよね。
体を動かそうとするとき使うのが大脳皮質の運動野です。
そして、運動野が発達してくるのは霊長類以降です。
運動野から随意筋へ指令をだして、自分の意志で体を動かせるわけです。
あれ、ということは、運動野がない動物は自分の意志で体を動かしているわけじゃないってことですよね。
全て反射で動いていて、自由意志はないってことですよね。
逆に言えば、運動野がある動物から自由意志があると言えそうです。
運動野に対して指令を出してるのが意志とか意識です。
運動野がないということは、意識もないと言えそうです。
意識や自由意志の問題がすっきり整理できましたよね。
現代科学では、人間には自由意志がないとされていますけど、随意筋肉を動かしているのは自由意志じゃないんでしょうかねぇ。
ぜひ、自由意志がないと言っている人の意見を聞きたいです。
さて、今回は自由意志の話じゃありません。
言語です。
大脳が発達して、運動野が生まれて、自分の体を動かす主体である意識が生まれました。
言語はその次です。
サバンナに住むベルベットモンキーはいくつかの警告コールを発します。
ヒョウのコールを聞くと木に向かって逃げ出して、ワシのコールを聞くと、空を見上げて藪の中に隠れます。
ただ、ヒョウとかワシと解釈するのは、それを観察している人間です。
ベルベットモンキーがヒョウとかワシって名前を付けているのかどうかわかりません。
つまり、ヒョウのコールは、木の上れ、ワシのコールは藪に入れって意味かもしれません。
もしかしたら、ヒョウやワシの意味も含まれているかもしれませんけど、名詞と動詞と分かれて文になってるわけじゃなさそうです。
実は、言語がどのようにして生まれたのか、いまだに激しい論争があって、ほとんど何にもわかっていないのが現状です。
それに対して、ラマチャンドラン博士は脳の進化から解き明かしていきます。
これが今回のテーマです。
脳の中で何が起こったのか?
言語の誕生
それでは始めましょう!
キリンの首がなぜ長くなったのか。
これは、首が長いキリンが生き残って選択されたからです。
これがダーウィンの自然選択です。
こんな単純な話ならいいんですけど、言語がなぜ進化したのか、自然選択じゃ説明できません。
言語は複雑すぎるからです。
何が複雑かというと、生まれる前から持っているものと、生まれた後の学習で獲得したものとが複雑に絡み合っているからです。
たとえば、日本語で「手」といっても、英語だと「hand」になりますよね。
つまり、単語は生まれた後に学習するものです。
それじゃぁ、文法はどうでしょう?
国によって違いますけど似てるところもありますよね。
とういことは生まれる前から持っていたのでしょうか?
つまり遺伝子が持っているということです。
遺伝ということは進化で獲得したわけです。
進化で獲得したということは、何らかの自然選択が働いたわけです。
じゃぁ、何を選択したらあれだけ複雑な文法を作り上げることができるんでしょう?
キリンでいえば、高い気の葉っぱを食べるって選択です。
言語の場合、これがわからないんです。
さらにわからないのは意味です。
言葉とは、何らかの意味を伝えるものですよね。
じゃぁ、意味って何?
これもよく説明できないんですよ。
以上を整理すると、言語は単語、文法、意味の三つの問題に分けることができます。
どれをとっても、単純に進化で説明できません。
生物学者、アルフレッド・ラッセル・ウォレスはダーウィンとは別に自然選択による進化論を唱えていました。
ただ、ウォレスにしても言語は複雑すぎるため自然選択で獲得したものじゃないと言いました。
じゃぁ、どうやって獲得したかというと、「神が脳に言語を入れこんだ」からといいます。
まぁ、そうとしか説明できなかったわけです。
それに対して、言語学者のチョムスキーは、脳で説明しようとします。
脳には1000億個の神経細胞があります。
これだけあれば、これらの組み合わせからあれだけ複雑な言語が生まれる可能性は十分にあります。
ただ、これ、ほとんど何の説明にもなっていないんですよ。
脳は人間以外の動物も持っていますけど、言語を話すのは人間だけです。
神経細胞の奇跡的な組み合わせで言語が生まれたのは間違いないとは思いますけど、「奇跡的な組み合わせで言語が生まれた」というのと、「神が脳に言語を入れこんだ」というのとあまり違いがありません。
少なくとも科学的に説明したことにはなっていません。
それに対して、最もありそうなのは進化生物学者のスティーブン・ジェイ・グールドの説です。
グールドは、このチャンネルでも何度も取り上げていますけど、グールドは進化を機能で説明します。
たとえば、四本の指と親指で挟んで物をつかむのは人間だけです。
物をつかむために、親指の位置を、4本の指に対向する位置に移動させたわけです。
これが進化です。
ところが、パンダにも親指があります。
ただ、よく見てみると、パンダ指は6本あるんです。
実は、パンダの親指は手の指じゃなくて、手首の骨が進化してできたんです。
何のために進化したかというと、竹や笹を持つためです。
つまり、竹を持つという機能がまずあって、それを達成するために、たまたまそこにあった手首の骨を進化させたわけです。
親指が先にあって、それを持つために進化させようというのとはちょっと違うわけです。
グールドは言語も、ある機能を達成するために進化したものだといいます。
じゃぁ、それは、どんな機能でしょう?
それは、思考です。
思考がまず先にあるわけです。
それを表現するために言語を生み出したというわけです。
当たり前のように思うかもしれませんけど、この逆の考えもあります。
つまり、言語が先にあって、それによって思考が生まれたという説です。
これをサピア・ウォーフの言語相対仮説といって、これもどっちが先か、大きな論争となっています。
サピア・ウォーフ仮説に関しては、第400回で取り上げています。
結構、面白い話なので、よかったらそちらも見てください。
今は、思考が先で話を勧めます。
ラマチャンドラン博士も、グールドの説に賛成します。
ただ、グールドもラマチャンドラン博士も、そこまでなんですよ。
思考からどのようにして、あの複雑な言語が生まれたかまではうまく説明できていないんですよ。
そこで、今回は、僕がこれらを解明していきます。
言語とは、単語、意味、文法の三つでしたよね。
そして、目指すのは、脳の進化で言語がいかに生まれたかです。
その中心となるのは、思考を表現するために言語が生まれたという説です。
まず、脳の進化を考えます。
進化で大脳が生まれましたよね。
大脳も進化して、運動野と感覚野が生まれました。
運動野と感覚野には身体がマッピングされています。
手を触ると感覚野の手が活性化しますし、運動野の手に指令を出すと、手が動きます。
これ、言語の何に当たるかわかりますか?
これが「手」の意味です。
「手」の意味が脳の中にみつかりましたよね。
手を感じたり、手を動かそうと考えるのは意識ですよね。
つまり、思考するのは意識です。
そして、思考の内容を表現するために生み出したのが言語でしたよね。
じゃぁ、どうやって表現しますしょう?
それは、考えてる対象に名前をつけます。
たとえば「手」です。
でも、日本語で「手」といっても英語だと「hand」になりますよね。
何と呼ぶかは脳には書いてありません。
「手」の意味とか概念までは脳にかいてありますけど、何と呼ぶかは、生まれた後に学習するわけです。
これが単語です。
注目してほしいのは、手の意味は大脳の運動野と感覚野にあるってことです。
身体のこの「手」が手の意味じゃないってことです。
つまり、「手」があったとしても、大脳が発達しないと「手」の意味は理解できないんですよ。
こうやって、言語が脳の進化できれいに説明できるたでしょ。
次は、もう少し難しい問題です。
「手」は、脳の運動野と感覚野に実際に存在します。
でも、それ以外はどうでしょう?
たとえば「リンゴ」です。
リンゴは、生まれる前から脳にあるわけじゃないですよね。
つまり、手や足みたいに、生まれた後に「リンゴ」の概念を持たせないといけません。
手や足は、脳というハードウェアに生まれる前に組み込んでいたわけです。
脳の中に先にあるのは思考でしたよね。
手や足ならともかく、「リンゴ」がこの世界にあるなんて、生まれる前はわからないわけです。
そこで、生まれた後に「リンゴ」のことを考えることができる仕組みが脳のなかにあるはずです。
それは、ハードウェアでなくて、ソフトウェアです。
言ってみれば、心のプログラムです。
その中心原理となるのが、意識の仮想世界仮説です。
人は、目で見た現実世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが、意識の仮想世界仮説で、僕が提唱している意識仮説です。
仮想世界は、コンピュータなら3DCGです。
目で見たリンゴを、3Dのリンゴオブジェクトとして頭の中に作ります。
この仕組みなら、生まれる前にリンゴを知らなくてもできますよね。
生まれる前から知っているのは、現実世界は三次元空間で、三次元空間に物体が配置されるとうことです。
あとは、この仮想世界の仕組みに、目で見たものをあてはめて認識するだけです。
重要なのは、世界と、その中にある物体という形式で認識するということです。
だから、物体に「リンゴ」って名前を付けることができるんです。
当たり前のことを言ってるようで、そうじゃないんですよ。
さっき、ハリネズミの話をしましたよね。
ハリネズミは、突然触られるとハリを逆立てて威嚇します。
これが、原始的な生物が持ってる反射です。
つまり、原始的な生物は刺激と反応が一体となっているわけです。
もっといえば、世界と物体を分けて認識していません。
それだと、名前を付けることもできないでしょ。
反射は、脊髄や脳幹など原始的な脳で行われます。
それを大脳が抑えつけて体をコントロールしています。
だから、大脳が損傷したハムディ博士は先祖返りしてバビンスキー反射が起こるようになったわけです。
ここまでで、言語の単語と意味が脳から説明できました。
残るは文法です。
人は、頭の中の仮想世界を介して現実世界を認識します。
目の前に見えるリンゴは、仮想世界に作り出したリンゴオブジェクトです。
手とか足とか自分の体も、仮想世界の中に自分の体を作り上げて認識します。
3DCGなので、「つかむ」とか「食べる」という行動も再現できますよね。
すると、目の前のリンゴを手でつかんで食べるところを仮想世界の中で再現することができますよね。
これが想像するです。
または、思考するです。
思考は、仮想世界のオブジェクトを操作することと言えます。
そして、言語は思考を表現するために生み出したものでしたよね。
だから、仮想世界の中のオブジェクトを名詞、動きを動詞として表現すれば、「リンゴを食べる」という文ができます。
このとき、名詞と動詞をつなぐために助詞とか助動詞が必要ですよね。
これが文法です。
ここ、もう少し詳しく見ていきます。
リンゴを食べたとします。
そのことを記憶して、次の日、思い出したとします。
そうしたら、「昨日、リンゴを食べた」って過去形になりますよね。
過去形という文法は、思い出すって記憶の仕組みから作られたわけです。
つまり、思考が先にあって、それを表現するために文法が作られたわけです。
世界を認識したり、過去の出来事を思い出す仕組みを「心のシステム」と呼ぶことにします。
すると、「心のシステム」で再現したことを表現するために文法が生み出されたといえます。
さて、最後にピダハンの話をします。
ピダハンは、このチャンネルで何度もとりあげていますけど、アマゾン奥地に住む未開の民族です。
ピダハンの最大の特徴は、時間という概念を持たないということです。
過去を思い出して悔やんだり、来るかどうかわからない将来を想像して思い悩んだりしません。
これがピダハンです。
ピダハンは、今、目の前の出来事にしか興味がありません。
だから、過去とか未来に関心を向けません。
たとえば、人が亡くなったら悲しみます。
それは、今、目の前の出来事だからです。
でも、故人をしのぶといったことはしません。
あの人とこんな思い出があったとか語り合うことをしないんです。
だんだんその人のことを語らなくなって、自然と忘れるといった感じです。
ピダハン族を調査した言語学者のエヴェレットは、ピダハン語は現在を起点とする文しか作れないことに気づきました。
ピダハン語には、過去完了形がないんです。
たとえば「電話がかかってきたとき、ご飯を食べ終わっていた」という文を作れないんです。
なぜなら、これは「電話がかかってきたとき」という過去を起点とする文だからです。
こんな文がつくれないなら、「あの人と、こんなことをした」って思い出を語らないのも理解できますよね。
語らないと言うより、そんな文が作れないから、語れないんです。
さて、これを心のシステムから読み解いてみます。
僕らは、過去を起点とする文を作れますよね。
そんな文を作れるということは、心の中で、それを想像できるってことです。
自分の経験をビデオテープに記録していたとして、過去を思い出すというのは、過去のある時点から再生することと言えますよね。
これが過去を起点とした出来事です。
ピダハンの心のシステムは、再生位置を変更できないんです。
今、現在を起点とした範囲からしか再生できないんです。
親しい人が亡くなった時、今、現在の出来事なので生成して悲しむことができます。
でも、それが過ぎ去ると過去に戻って再生できないので、思い出すことはないんです。
だから、故人を偲ぶことはせずに、ただ自然と忘れるだけなんです。
そんな心のシステムだから、それを表現する文法も生み出さなかったわけです。
だから、ピダハン語には、過去完了形が存在しないわけです。
これで、思考を表現するために言語が生み出されることがきれいに説明できましたよね。
それも、単語、意味、文法といった言語の三つの問題を脳と進化からきれいに説明できました。
はい、今回はここまでです。
この動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、動画で紹介した意識の仮想世界仮説に関しては、よかったらこちらの本を読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!
第535回 脳の中で何が起こったのか?言語の誕生
