第537回 文法は道具で発明された説


ロボマインド・プロジェクト、第537弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

言葉を話すのは人間だけだと言いますけど、チンパンジーも手話を教えると100以上の単語を覚えます。
「ボールを持ってきて」と手話で言うとちゃんとボールを持ってきます。
単語だけでなくて、文の意味も理解できます。
さらに、「ボールを持ってきて、あの箱に入れて」っていうと、これもできます。
つなげた文も理解できるんです。
結構なことができますよね。

人の場合、言語の処理をしているのはブローカー野とウェルニッケ野です。

ウェルニッケ野は言葉の意味理解、ブローカー野は文法処理を行っています。
ウェルニッケ野が損傷したウェルニッケ失語の場合、意味はわからなくなりますけど、文法的に問題のない文をいくらでも作れます。
たとえば、「スーザンが来て、ジョンをたたいて、バスに乗って、チャールズが転んだ」といった文です。
こんな文をスラスラということができます。
でも、ウェルニッケ失語患者の行ってることをよく聞くと、入れ子構造の文は出てこないんですよ。
入れ子構造というのは、文の中に文が含まれる文です。
たとえば、「太郎は、花子が作ったおにぎりを食べた」です。
これは、「花子が作ったおにぎり」という文が、「太郎が食べた」という文の中に入っています。
これが入れ子構造です。

じつは、チンパンジーも同じなんです。
たとえば「女の子が見た少年は背が高い」といった文で、誰が背が高いか質問しても、「男の子」と答えたり「女の子」と答えたりします。
正答率は約50%になるそうで、ランダムに答えてるだけです。

じゃぁ、人はどうやって入れ子構造の文を作れるようになったんでしょう?
それに対してラマチャンドラン博士は、それは道具を使うようになったからだっていいます。
ちょっと意味が分からないですよね。
それじゃぁ、詳しく解説します。
これが、今回のテーマです。
文法は道具で発明された説
それでは、はじめましょう!

今回も、ラマチャンドラン博士の『脳の中の天使』からの紹介です。

さて、原始的な生物は脳が発達していません。
神経細胞は感覚器と体をつなぐ役割をしてるだけです。
それが、進化の過程で神経細胞が学習や記憶といった情報処理をするようになったわけです。
本来、情報を伝達するだけの役割だった神経が、他の機能のために使われたわけです。
たまたま、そこにあったから使われただけです。
これを外適応といいます。
外適応というのは、本来の機能ではないけれど、たまたまそこにあったというだけで、別の機能のために進化したものです。
例として挙げられるのが、パンダの親指です。

パンダの親指は、指じゃなくて、じつは手首の骨です。
それが、竹をつかむのに、たまたまそこにあったから指として使うように進化したわけです。

さて、脳が進化して、大脳が発達して言葉を話せるようになりました。
大脳には運動野と感覚野があります。

運動野は体を動かすときに活性化する領野で、感覚野は体を触れられたとき活性化する領野です。
どちらも体がそのままマッピングされています。
感覚器と体が直接つながっている場合は、体は実際の体しかありません。
でも、脳の中に体がマッピングされるってことは、実際の体と脳の中の体の二か所に体があるといえます。
これ、どういうことかわかりますか?

それは、実際の体を動かす前に、脳の中の体をつかって考えることができるようになったんですよ。
じゃぁ、その考えるものってなんでしょう?

それは、意識です。
この段階まで脳が進化した生物は、意識を持ち始めたってことです。


さて、この段階まで進化した生物は、道具を使うことができるようになります。
たとえば、サルは石を使って固い木の実を割ったりします。

または細い木の枝を使ってシロアリ釣りをすることも知られています。


これ、言ってみれば手の延長として道具を使っているわけですよね。
手の先に石がつながったり、細い木の枝がつながったのを想像しているんでしょう。
脳の中で何かと何かをつなげてるところをイメージしたわけです。
その時使うのが、脳の中の体です。
脳の中の体をつかって情報処理をしているわけです。
どういう情報処理かというと、何かと何かをつなげるとか追加するって情報処理です。
何かというのが、手というデータと、石というデータです。
そういう情報処理回路が脳の中に生まれたんでしょう。
CPUで言えば足し算回路です。

それまでの脳は、情報を伝達したり、記憶、学習するスイッチング回路が大量にあったわけです。
それが進化して、足し算という演算ができるようになったわけです。
こう考えると、脳が進化して、複雑な処理ができるようになったってストーリーも納得がいきますよね。

さて、ヒトの脳はさらに進化して、さらに複雑な道具を扱えるようになりました。
それが石斧とか尖頭器とよばれる槍です。
 
今までの道具と何が違うかわかりますか?
それは、棒の先に石をくくりつけたことです。
つまり、道具を組み立てたんです。
たしかに、単なる石に比べて進化してますけど、木の先に紐でくくりつけただけで、そんなに複雑なんでしょうか?

でも、これができるのはヒトだけなんですよ。
組み立てた道具を使うチンパンジーはいません。
組み立てるっていうのは、何かを追加するのとは別の情報処理と言えそうです。
そう考えたら、構造的に全く新しい情報処理が生まれたといってもいいですよね。

ただ、これは道具の話です。
今、考えようとしてるは言語です。
それじゃぁ、この話を言語に置き換えて考えてみます。

手の延長として道具を使うのは、追加するって情報処理でしたよね。
これは、言語だと、「そして」とか、「そのあと」って感じで文をつなげるのと言えそうです。
「Aに行って、そして、Bに行って、そのあとCに行った」とかです。
これは、時間の流れに沿って出来事を追加していってるわけです。
ウェルニッケ失語の患者が作る文もこのタイプの文です。

チンパンジーも同じです。
チンパンジーは、「ボールを持ってきて、あの箱に入れて」って文の意味を理解できます。
これは、「ボールを持ってくる」という文の処理をして、その次に、「箱に入れる」って情報処理を追加してるわけです。
追加でつながった文を理解しているわけです。


でも、ウェルニッケ患者もチンパンジーも入れ子になった文は理解できません。
「少年は背が高い」は理解できますけど、「女の子が見た少年は背が高い」は理解できません。
この文は、「少年が背が高い」という文が、「女の子が見た」という文の中に組み込まれているからです。
これが入れ子の文です。
道具だと、石斧を使うのと同じです。

石斧は、「木に石をくくりつけたもの」を一つのまとまりとして認識して、そのまとまりを、手の延長として使うのでしたよね。

ここをもう少し考えてみます。
木と石の棒を組み合わせるというのは足し算ですよね。
手に石を持つのも足し算ですよね。
足し算をつなげることなら、今までもできていましたよね。
じゃぁ、出来ないことはなんでしょう?

それは、木に石をくくりつけた道具を作ることです。
というか、木に石をくくりつけたものを道具として使うところをイメージできないんです。
だから、作れないんです。
これ、足し算をつなげてるんじゃなくて、足し算の中に足し算を組み込んでいるんです。

入れ子の文も同じです。
「女の子が見た少年は背が高い」という文は、「背が高い少年」という文が、「女の子が見た」という文の中に組み込まれているわけです。
こう考えると、石斧をイメージするのも、入れ子の文を理解するのも構造は同じといえますよね。

これ、コンピュータ・プログラムでいえば再帰処理です。
再起処理っていうのは、自分で自分を呼ぶ処理のことです。

たとえば、パソコンのフォルダの中にはファイルとフォルダが入っていますよね。


フォルダの中にフォルダが入っている階層構造をいくらでも作ることができます。
あるフォルダの中に入っているファイルを全て書き出すってプログラムを作るとします。
そんな場合に使うのが「再起」です。
まず、フォルダの中のファイルを書きだすってプログラムを作ります。
そして、そのプログラムは、フォルダの中にフォルダがあると、自分で自分を呼び出すんです。
そしたら、呼び出された自分は一階層下のフォルダの処理をします。
そのフォルダにさらにフォルダがあったら、さらに自分を呼び出すんです。
こうやって、いくらでも繰り返すことができます。
じゃぁ、終わりはいつかというと、それは、フォルダが入ってないフォルダにたどり着いた時です。
そこまでたどり着いたら、そのフォルダに入っているファイルを書きだして、一つ上のフォルダに戻ります。
そうやって、最初のフォルダまで戻るわけです。

この再起処理のプログラム、じつは、これが書けるプログラム言語と書けない言語があるんです。
つまり、再起処理っていう機能はプログラム言語に組み込まれているかどうかってことです。

同じことが脳にも言えます。
脳の中に再起処理が組み込まれていると、再起構造の文を理解できます。
組み込まれていないと再起処理の文を理解できません。
文の理解だけでなくて、道具を組み立てることもできません。
なぜなら、組み立てた道具を使うところをイメージするには、再起処理を使うのと同じだからです。

こう考えると、進化によって、脳の中に再起処理って回路が生まれたと考えるとすっきり理解できますよね。
ホモ・サピエンスは7万年前、認知革命がおこったと言われます。
複雑な言語を話し、複雑な道具を生み出した時代です。
これも、脳の中の進化と考えたら理解できます。

ただ、よくわからないのは、そんなことがある時期に一気に起こるかってことです。
だって、進化って何億年とかかけて起こることでしょ。
パンダの手首の骨が親指にまで進化するのに、たぶん何百万年とかかかっていると思います。

まぁ、骨を進化させるには、そのぐらいかかるでしょう。
でも、今、起こっているのは脳の神経細胞の進化です。
骨を10cm伸ばす進化にくらべてはるかに簡単です。
おそらく、ある時期、脳が一気に進化した時期があったと思うんですよ。
脳細胞を組み替えて、どんなことができるかいろいろ試してみた時期があったんですよ。

たとえていえばカンブリア爆発です。

約5億年前、生物が一気に多様化した時期があります。
動物の最も基本的な分け方に「門」ってありますけど、この時期、現在の動物門のほとんどが出現したと言われています。
おそらく、こうすれば多様な生物を生み出せるってことがわかって、とにかく、いろんな生物を生み出したんでしょう。
進化というのは、徐々に起こるんじゃなくて、ある時期、一気に起こるんです。
その内、多くの生物は絶滅してしまいましたけど、一部の生物が生き残りました。
絶滅したのは環境に適応できなかった生物で、生き残ったのが環境に適応できた生物です。
これが、ダーウィンの進化論の自然選択です。

それと同じ事が、脳内でも起こったわけです。
それが起こったのが7万年前の認知革命です。
脳細胞の組み換えなので、カンブリア紀よりも、もっと短期間で起こったと思われます。
そのとき、ありとあらゆる能力が作られたんです。
たとえば、言語とか、神を想像する能力とか、他人に気持ちを思いやる能力、道具を作る能力、絵を描いたり、彫像をつくったりする能力です。

カンブリア紀だと、環境に適応しなかった生物は絶滅しましたよね。
それが、認知革命でも起こったと思います。
生み出したけど、あまり役に立たなかった機能です。
じゃぁ、その機能はどうなったんでしょう?
消滅したんでしょうか?

僕が考えるに、消滅したんじゃなくて、意識がアクセスできなくなっただけだと思うんです。
だから、人によってはその機能にアクセスできる人もいます。
たとえば、共感覚です。
共感覚というのは、数字に色を感じたりとか、音に色を感じるとか、別の感覚が結びついて感じられる能力のことです。
ただ、これは実生活であまり役に立たなかったので、共感覚の遺伝子は淘汰されていったんでしょう。
ただ、それでも、今でも人口の数%は共感覚があるそうです。

たぶん、そんな機能は他にもいっぱいあると思います。
たとえば、文を作る能力は誰でももっていますけど、曲を作る能力って、誰でももってるわけじゃないですよね。
大抵の人ができるのは、知ってる曲を頭の中で再生するだけです。
作曲ができるのは、ほんの一部の人だけです。
でも、作曲の能力も、本当は、みんな持ってると思うんですけど、それにアクセスできないだけなんです。
僕もそうです。
ただ、僕の場合、ある特殊な状況だと作曲ができるようになったんですよ。
それは、眠りに落ちる直前のうとうとした状態です。
眠りに落ちるとき、たまに意識が戻ることがあるんですよ。
そのとき、頭の中で曲を自由に作れることに気づいたんですよ。
桑田佳祐っぽい感じにとかって、自由に作れるんですよ。
ただ、その状態になることがめったに起こらないんですよ。
曲を作れる人って、起きてるときにこの機能に自由にアクセスできるんだと思います。

どんな機能にアクセスできるかは、脳が柔らかい幼少期が重要だと思われます。
たとえば、幼少期に言語に接することがなかったら、言葉を話せるようになりません。
このチャンネルでヘレン・ケラーの話は何度も取り上げました。
ヘレンは、ものに名前があることを知った、わずか30分後に、今朝、自分が人形をこわしたことを後悔するって複雑な感情を手に入れました。
こんな短期間にこんな複雑な能力を手に入れたのも、過去の出来事を思い出したり、再現したりするって機能をもともと持っていたからです。
普通は、言葉を覚える段階で、過去の記憶にアクセスするので、思い出すとかって機能が使えるようになります。
それが、目も見えず、耳も聞こえないヘレンは、言葉を教えられることもなくて、その機能にアクセスできなかったわけです。
それが、物に名前があると気付いた瞬間、それがきっかけで、その機能にアクセスできて、一瞬で使えることができるようになったんでしょう。
おそらく、言語機能と、過去の思い出を思い出すって機能は密接に結びついていたんでしょう。

その他、自閉症の人の中には、写真記憶といって、見たものを写真のように記憶できる能力がある人がいます。
たとえば自閉症の画家、スティーブン・ウィルシャーはこんな絵を記憶だけで描きます。


こんなこと、普通の人には絶対できないですよね。
ところが、カナダの脳外科のペンフィールドが、手術中に側頭葉を刺激すると、患者が、何十年前の記憶を思い出したって事例が報告されています。
それも、今、実際に目の前で起こってるかのように見えたそうです。
まさに写真記憶です。
もしかしたら、誰でも、見たものをそっくりそのまま記憶する能力があるかもしれません。
ただ、その機能にアクセスできないだけなんです。
僕らは、本当は作曲もできるし、思い出の光景をそっくり絵を描ける能力を持っているんですよ。
ただ、それにアクセスできないだけなんです。



はい、今回はここまでです。
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それからよかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!