第538回 脳にとって美とは何か


ロボマインド・プロジェクト、第538弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

ラマチャンドラン博士の『脳のなかの天使』を読み続けていますけど、とうとう、問題の章にやってきました。

「美と脳」の章です。
この本の前に出たラマチャンドラン博士の『脳のなかの幽霊、ふたたび』って本があります。

これはラマチャンドラン博士の講演集で、今回の内容の一部紹介されていて、その話は、第496回で紹介しました。
そこでも語ったんですけど、ラマチャンドラン博士のアート論は、正直、ちょっとどうかと思うんですよ。
この前の章のテーマは言語でしたけど、そういう話は素晴らしいんですよ。
重要な箇所に線を引きながら読んでいるんですけど、ほとんどが線だらけになって、一章紹介するのに、3回に分けないといけませんでした。
それでも、まだ紹介しきれなくて飛ばした話もあります。
たとえば、この二つの図で、どっちがブーバでどっちがキキかっていう問題です。


じつは、正解はありません。
これは、音とイメージの結びつきを調べるテストです。
これを、世界中のありとあらゆる民族で調べてみたんですけど、どの地域でも、左の丸っこいほうが「ブーバ」で、右のとがってる方が「キキ」ってなりました。
つまり、音と形は脳の中で普遍的に結びついてるんじゃないかってことです。
ブーバキキ問題、かなり有名で僕も知っていましたけど、これを考案したのがラマチャンドラン博士とは知らなかったです。
さすが、こんな実験考えさせたらピカイチです。

さて、その次の章が「美と脳」です。
一通り読んだんですけど、ほとんど線を引くことがなかったです。
話すことがないなぁとも思ったんですけど、考えてみれば、これは逆に面白いです。
なんで、ラマチャンドラン博士は「美」の話になると、途端に面白くなくなるのか。
これを考えることで、脳と美の関係が読み取れてきました。
これが今回のテーマです。
脳にとって美とは何か。
それでは、はじめましょう!

まずは動物から考えます。
ニワシドリって鳥がいます。

なんでニワシドリかっていうと、巣の前にきれいな庭を作るから庭師鳥なんですよ。
たとえば、これがニワシドリの巣です。

巣の前にきれいにいろんなものが並べられているでしょ。
スゴイでしょ。
これ、人間が作ったんじゃないですよ。
鳥が自分で並べたんです。
他にもこんな巣のもあります。

これはきれいですよね。
これなんかどうでしょう。


なかなか渋いですよねぇ。
じゃぁ、これはどうでしょう。

この子は青ばっかりあつめていますよね。
これはアオアズマヤドリといって、ニワシドリの仲間で、青ばかり集めるんです。
自然界には青色の物ってあまりなくて、この子が集めたのはペットボトルのキャップとかストローばかりになっていますよね。

じゃぁ、ニワシドリはなんで、庭をきれいに飾るんでしょう?
それは、メスを引き寄せるためです。
これは自然界によくあることですよね。
クジャクの羽も同じです。

これは美しいですよね。
たしかに、美を感じます。

メスを引き寄せるために進化した結果です。
ニワシドリは、自分の巣をきれいに見せるように進化して、クジャクは自分の羽をきれいに見せるように進化したわけです。
どちらも共通するのはきれいにみせることです。
そして、それに引き寄せられるメスも、これを美しいと感じているわけですよね。
つまり、オスもメスも、それを美しいと感じているわけです。
さらに、これを見てる我々人間も、美しいと感じますよね。

ここには、間違いなく、「美」がありますよね。
じゃぁ、「ここ」とはどこでしょう?
ニワシドリの庭でしょうか?
クジャクの羽でしょうか?
そうじゃないです。
「美」があるのは、脳の中です。
ニワシドリの庭やクジャクの羽を見た脳の中に生まれたものが「美」です。

ただ、ニワシドリもクジャクもメスを引き付けるために進化したんでしたよね。
僕は、ここに言語と同じ力学が働いていると思うんですよ。
これを意識の仮想世界仮説で説明します。

人は、目で見た現実世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが意識の仮想世界仮説です。

仮想世界はたとえば3DCGのようなもので、仮想世界に作られる「もの」はオブジェクトというデータのまとまりです。
たとえばリンゴを見た時、頭の中に3Dのリンゴオブジェクトが作られます。
そして、それに「リンゴ」って名前をつけたわけです。
これが言葉です。

じゃぁ、それで何が嬉しいんでしょう?
それは、名前を言うことで、目の前になくてもリンゴを思い浮かべることができるようになったってことです。
「リンゴ」って言っただけで、リンゴを思い浮かべることができるようになったんです。
これが言語の最大の特徴です。

何が言いたいかというと、データを切り離すことができたってことです。
つまり、それまでは見ることをきっかけとして脳内にリンゴオブジェクトを生成していたのを、名前を言うことでリンゴを思い浮かべることができるようになったわけです。

最初、脳内ではいろんな処理がつながっていました。
処理の流れは脳内の神経細胞が担っています。
一連の神経細胞から、一部のデータを切り出して管理するようになったんです。
それが、切り出されたデータがリンゴの概念です。
そんな風に脳が進化したわけです。

言語だけでなく、「美しさ」も同じことが起こったんじゃないかと思うんですよ。
つまりね、ニワシドリやクジャクのオスは、メスを引き付けるには美しい庭や羽が必要だって知っています。
知っているというか、脳の中にあるわけです。
それはメスを引き付ける脳内の神経回路の一部です。
そして、ニワシドリのメスやクジャクのメスの脳内にも、美しい庭や美しい羽に魅かれる処理回路があるわけです。

ヒトの場合も、男性は美しい女性に惹きつけられるし、女性はそれを知って自分を美しく着飾ります。
オスとメスの行動が逆転してますけど本質は同じです。
それより重要なのは、ヒトの場合、「美しさ」だけを分離して管理できるようになったことです。
本来、「美しさ」とは、異性を引き寄せるという目的のためでしたけど、目的を分離して、「美しさ」だけを取り出して管理するようになったわけです。

そして、それをさらに進化させたのがアートです。
それは、現代アートでも同じです。
たとえば、これは僕も好きな草間彌生の作品です。

黄色いカボチャに黒の水玉を描いただけですけど、ああ、いいなぁって思います。
ここにはある種の「美しさ」があります。
ここにあるのは、純粋な「美」だけです。

異性を引き寄せる機能とか、そんなものは微塵もありません。
言葉では表現できないですけど、「美」を感じます。

ここなんですよ。
重要なのは。
ここっていうのは、「言葉で表現できない」ってとこです。
「美」は、言語とは別の次元にあるんです。

もし、この黒い水玉の一部が剥げかかったり、黒い塗料を塗って、乾く前に触って黄色と黒が混ざったりしたら、間違いなく「美」が損なわれたと思いますよね。
つまり、何が「美」で、何が「美」でないか、僕らの頭ははっきりとわかるわけです。
ただ、それは言葉で表現できるタイプのものじゃありません。

言葉を処理するのは左脳です。
見た目とか、イメージを処理するのは右脳です。
どうやら、「美」というものは右脳にあるようです。

ただ、美術史とか見てると、右脳と左脳がごっちゃになっているものがよくあります。
たとえば、これはドラクロワの「民衆を導く自由の女神」です。

フランス革命を描いた絵です。
まぁ、言わんとすることはわかります。
女神に導かれて革命で勝利したことを称えているんでしょう。
ただ、こうして言葉で説明できる時点で、この絵を読み取っているのは左脳なんです。
左脳が処理するのは意味です。
この絵を理解したと思ったとき、それは左脳での理解です。
つまり、肝心の右脳は使ってないんです。
せっかくのドラクロワの美しい絵なのに、「フランス革命だよぇ」って言った瞬間、脳はフランス革命として見るんですよ。
wikiでこの絵の解説をみると「乳房は母性、つまり祖国を表している」とかって説明しています。
そんなこと読み取った時点で、この絵でなくてもなんでもいいんですよ。

こんなイラスト見てるのと変わらないです。
ドラクロワの絵なんか、見てないってことです。
これ、なんかおかしいでしょ。

これは、僕の考えですけど、アートは純粋に美しさだけを追求すべきです。
「美」そのものを味わうべきなんです。
ドラクロワの絵を見て「フランス革命ですなぁ」とか言ってるのはアートじゃないんですよ。
少なくとも、草間彌生の作品には「地球環境を守ろう」とかそんなメッセージは一切ないです。
純粋に、自分が美しいと思うものを追求したら、水玉になったんだと思います。
それがアートのあるべき姿だと思います。

僕が美術評論とかで違和感を感じるのは、アートを言葉で説明することの矛盾です。
アートは左脳でなくて右脳で感じるものです。
言葉で説明したら、肝心のものが抜けてしまってるんです。

ただ、ラマチャンドラン博士のアート論は、そうはなっていません。
そこはちゃんとクリアになっています。
たとえば、こんな感じです。
ラットに1と2の図形を学習させます。

1は正方形で2は長方形です。
そして2の長方形を選んだらチーズを与えて、1の正方形を選んだら何も与えません。
こうして訓練することで、ラットは1より2を選ぶようになります。
2の長方形が好きになったわけです。
次は、2と3の長方形を見せます。
さて、ラットはどちらを選んだんでしょう?

当然、2を選ぶと思いますよね。
ところが、ラットは3を選ぶんです。
今までチーズをもらえてた2の長方形より、初めて見る3の長方形を選ぶんです。
不思議ですよね。
じゃぁ、ラットはいったい、何を学習したんでしょう。

それは、長方形っぽさです。
辺が長い方がチーズをもらえると学習したわけです。
だから、より長い辺の3を選んだわけです。

ここから、脳は何らかの特徴を学習すると言えそうです。
その特徴をより表すものに反応するわけです。

ここまでの話は動物行動学の話で、美術と関係ありません。
ここから、ラマチャンドラン博士は似顔絵を読み解きます。
たとえば、ニクソン大統領の似顔絵です。

似顔絵画家は、ニクソン大統領を描く時、鼻を異常に大きく描きます。
ニクソン大統領は鼻が大きいことが特徴だからです。
だからといって、こんなに大きいわけじゃありません。
でも、大きくした方が、よりニクソンらしくなるわけです。

これ、言葉で説明していますけど、ちゃんと右脳の説明いなっているんですよ。
似顔絵を見て、ニクソンっぽいと思っているのは右脳です。
「~っぽさ」ってイメージを処理するのは右脳です。
そこは間違いありません。
ただ、ニクソンの似顔絵が美しいかときかれたら、美しいとはいわないですよね。
これだけじゃ、「美」の説明になっていないんですよ。

ここが物足りないんですよ。
僕が知りたいのは、「美」とは何かです。
それは右脳で処理することは間違いないと思います。
ただ、右脳で処理するものは全て「美」かというとそうじゃありません。
右脳で処理するのは見た目とかのイメージです。
その処理の一つに特徴を抽出する機能があります。
その機能が、長方形っぽさとか、ニクソンっぽさって特徴を抽出するんでしょう。
それが、より細長い長方形とか、よりおおきな鼻ってことです。

もしかしたら、特徴の一つに「美しさ」ってのがあるのかもしれません。
それを抽出する機能があるのなら、その機能は、「より美しい」に反応するでしょう。
どうやら、僕の「美」の機能は、草間彌生の水玉に激しく反応するみたいです。

はい、今回はここまでです。
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それから、動画で紹介した意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本で詳しく紹介してますのでよかったら読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!