第539回 美は何のために存在するのか?


ロボマインド・プロジェクト、第539弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

ラマチャンドラン博士の『脳のなかの天使』を読み続けていますけど、今回もテーマは「美」です。

この本、1テーマ1章になっているんですけど、美に関しては、章を二つ割いているんですよ。
ラマチャンドラン博士、それだけ気合を入れているみたいです。
ただ、言語や自閉症の章はめちゃくちゃ面白いんですけど、美に関しては、正直、どうかなぁって思うんですよ。

たとえば、顔の美しさの説明です。
多くの顔写真を集めて平均顔を作成すると美人になるという有名な研究があります。

男性でも女性でも起こります。
これは、平均化することでばらつきが消えて、バランスの取れた顔になるからです。
逆に言えば、醜い顔というのは左右非対称でアンバランスということです。
たとえば、ディズニー映画にもなった『ノートルダムの鐘』には、カジモドという醜い顔の男が登場します。

たしかに、カジモドは左右非対称でアンバランスの顔をしています。

なぜ非対称の顔を醜いと感じるか、ラマチャンドラン博士は寄生虫で説明します。
どういうことかというと、寄生虫に感染すると、生殖能力が大きく低下する場合があります。
だから、配偶者を選ぶとき、寄生虫に感染していない相手を選ぶ必要があります。
そのための能力を進化によって獲得したというわけです。
つまり、左右対称の顔を美しいと魅かれ、非対称の顔を醜いと避けるようになったということです。

たぶん、正しいと思いますよ。
でも、「遺伝子を残す」っていう本能の説明は、正直、聞き飽きたんですよ。
僕が思うに、「美」っていうのは、本能とは別の力学が作用していると思うんですよ。
でも、そのことについて誰も説明しないんですよ。

じゃぁ、「美」は何のためにあるのか?
本能以外に、「美」が存在する理由はあり得るのか?
ここが最大の疑問なんです。
そして、その謎が、ようやく解けました。
これが今回のテーマです。
美は何のために存在するのか?
それでは、はじめましょう!

さて、この3枚の絵は、僕も何度も紹介しましたけど、ラマチャンドラン博士が講演でよく使う絵です。


(c)は、8歳の男の子が書いた馬の絵です。
いかにも子供が描きそうな絵ですよね。
(a)の見事な絵は、じつは、7歳の女の子ナディアが描きました。
大人でも、こんな絵、描けませんよね。
ナディアは、じつは、自閉症です。
いわゆるサヴァン症候群です。
そして、(b)は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた馬の絵です。
ラマチャンドラン博士は、講演で、どの絵が一番上手いか聞くそうですけど、一番多いのは(a)のナディアの絵だそうです。
ダ・ヴィンチの絵より、7歳の女の子の絵の方が上手いってみんな感じるわけです。

ただ、ナディアは人と会話をすることができないし、靴の紐を結ぶこともできません。
ナディアの脳は、他の能力を捨ててでも、絵を描く能力に全てを捧げたかのようにみえます。
じつは、これはまんざら嘘でもないんですよ。
その証拠に、ナディアが10代になって自閉症の症状が軽減すると、それと同時に絵の才能も完全に失われたそうです。

この話で思い出すのが、盲目の音楽家の話です。
スティービーワンダーとかレイチャールズとか、辻井伸行とか、全盲の音楽家っていますよね。
目が見えない代わりに、音楽の才能が神様から与えられたっていわれることがありますけど、これもまんざら嘘とは言えないんですよ。
どういうことかというと、全盲の音楽家の脳を調べたところ、普通なら視覚処理に使われる脳の領域が聴覚処理に使われていたそうなんです。
脳は可塑性があるといいますけど、目からの視覚情報が入らなくなると、視覚処理に使われてた部分が聴覚の処理につかわれるようになったわけです。
それで、普通の人にはわからないようなわずかな音の違いも聴き分けられるようになって音楽の才能が開花したんでしょう。

イメージする機能は右頭頂葉にあると言われています。
認知症の中に前頭側頭型認知症というのがあります。
これにかかると、前頭葉と側頭葉が機能しなくなって、頭頂葉だけが島のように孤立して生き残ることがあります。
そのような人の中には、精神的能力が衰えるんですけど、ある日、突然、見事な絵を描き始める人がいます。
これは、他の機能が使えなくなった分、頭頂葉の絵を描く機能を集中して使えるようになったからと考えたら理解できます。

それから、側頭葉てんかんの人の話もあります。
マイクをスピーカーに近づけるとハウリングと言って、ものすごい大きな音がでることがありますよね。
てんかんというのは、脳がああいう状態になることです。
つまり、脳の神経インパルスの連射が突然起こって制御できなくなる状態です。

その人は60歳になって側頭葉てんかんが起こるようになったそうです。
側頭葉は「何の経路」といって、見たものが何かを判断する処理経路です。
「何」というのは最終的に単語になるものです。
つまり、側頭葉は言葉に関係します。
だから、側頭葉てんかんが起こると、側頭葉が急激に活性化して言葉に敏感になることがあるんです。
そして、その人は、突然、今まで全く関心がなかった詩を書く才能が開花したそうです。
韻を踏む言葉が次々にあふれ出るようになったといいます。

絵だけでなく、詩にも「美」がありますよね。
韻を踏む詩は万葉の時代からありますし、現代のヒップホップやラップでも歌われます。
日本だけでなく、世界中の文化にあります。
ということは、韻を踏む言葉を良しと感じるのは、人の脳が生まれつきもっている機能と言えそうです。
生まれつき持っているということは進化で獲得したとも言えます。

さて、そろそろ本題に入ります。
人は、韻を踏む言葉をいいとか、心地よいと思うわけですよね。
つまり、ここにも「美」があると言えます。

ラマチャンドラン博士は、美を脳の進化で説明しようとします。
進化とは、生物が生き残るための戦略です。
その基本は、個体保存と種の保存の本能です。
個体保存の本能は、個体としての自分が生き延びて、出来るだけ長生きしたいと思うことです。
種の保存の本能は、自分と同じ種をできるだけ増やしたいと思うことです。

ここでわからないのは、韻を踏む能力って、本能に従ったものなんでしょうか?
バランスの取れた顔に魅かれるのが寄生虫におかされていない配偶者を選ぶ淘汰圧になるのはわかります。
でも、上手く韻を踏む人が増えても、その種が繁栄するとは思えないですよね。

じゃぁ、種の保存じゃなくて個体保存の本能でしょうか?
たとえば、上手く韻を踏めると、ラップバトルとかで勝てます。

まぁ、でも、ほとんどの人はラップバトルなんかしたこともないでしょうし、そんな一部の特殊な文化のために脳が進化したとは考えにくいです。

そこで別の視点を導入してみます。
例として挙げるのはカプグラ症候群です。
カプグラ症候群というのは、身近な人がニセモノに入れ替わったと思う神経障害です。
たとえば、自分の母親を見て、見た目は母親そっくりだけど、中身は宇宙人に乗っ取られてると思うそうです。
「ほかの人はだませても、俺はだまされないぞ」って本気で言います。
もちろん、そんなはずはないので、突然、息子がおかしなことを言い出してお母さんはうろたえるしかありません。

さて、このカプグラ症候群は、いったい、何が原因でしょう?
それは、偏桃体の機能が低下したり、偏桃体からの情報が切断されているのが原因と言われています。
偏桃体は脳の中で感情や情動を生み出す部分です。
「何の経路」である側頭葉で顔を分析して「誰か」を特定します。
そして、その顔が母親とか親しい人であったら、偏桃体から親しみとか愛情といった感情が生み出されます。
これらを受けて、母親をみたとき親しみとか愛情を感じるわけです。
ところがカプグラ症候群は、母親の顔は認識しますけど、親しみといった感情が沸いてきません。
だから、母親を偽物と感じるわけです。
これがカプグラ症候群の原因です。

さて、そのカプグラ症候群の患者ですけど、風景や花を美しいと感じなくなったとも言います。
つまり、「美」を感じなくなったわけです。
このことから、「美」も一種の感情と言えそうです。

感情というのは行動の原動力です。
恐怖という感情は、対象から逃げたくなるし、好きとか安心という感情は対象に近づきたくなります。
人は感情によって行動を決定します。

いや、あらゆる生物は感情によって動かされます。
本能に基づいた感情で動かされているわけです。
偏桃体など、感情を発生する部分は脳の中心の大脳辺縁系にあって、魚類や両生類もあります。
これが、生物が本能によって動かされているということです。

さて、人の脳は進化で大脳が大きく発達しました。
それによって意識が生まれ、世界を認識するようになりました。
それまでの生物は、本能に基づく感情に反射的に動かされているだけでした。
天敵が来たら逃げるし、食べ物を見つけたら捕まえて食べるとかです。

それに対して人間は、意識で世界を認識できるようになりました。
もう少し詳しく説明すると、人は、目で見た現実世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これを意識の仮想世界仮説と言います。

さっき、側頭葉は何の経路と説明しましたよね。
目で見たものは側頭葉で、それが「何か」を分析して脳内の仮想世界として組み立てます。
これによって、意識は仮想世界を介して世界を認識できるようになりました。
それまでの生物は、その感情に戻づいて行動してるだけです。
意識も仮想世界も持たないので、世界があるとか、世界はどうなってるとかって認識することもできません。
つまり、「あぁ、世界がある」って思えるのは、仮想世界をつかって意識が世界を認識するという大脳の仕組みを獲得して、初めて感じれる世界観なのです。

さて、こっから本題です。
美の本質の話です。
今までの生物は、現実世界に直結して生きています。
自分を捕食する天敵からは逃げるし、パートナーを得るためにライバルとは戦わないといけません。
個体保存の本能と種の保存本能に従って現実世界を生きているわけです。

さて、人間です。
人の意識が直接感じるのは、現実世界でなく、現実世界から作られた仮想世界です。
この仕組みによって、人は、新たな能力を獲得しました。
それは、想像するという能力です。
仮想世界を作る能力をつかって、目の前にない世界を想像できるようになったんです。
おそらく最初は、昼間見た光景を思い出すとかです。
思い出した光景は自分の頭にしかありません。
思い出したら、次は、それを人に説明したくなりますよね。
それが言語による表現です。
または、洞窟に絵を描きます。

絵画による表現です。
人は、想像する能力を獲得すると同時に表現する能力も獲得したんです。

さて、こっからです。
人は現実世界を生きると同時に、想像の中の世界をも生きるようになりました。
二つの世界を生きるようになったわけです。

人の行動の原動力は感情でしたよね。
現実世界を生きる生物の行動原則は本能です。
行動原則がないと、その世界で生き延びることもできません。
それは人間であっても同じです。

感情を感じれなくなると、自分の母親もわからなくなります。
感情という行動の指針を感じられなければどう行動していいかわからず、無秩序になってしまいます。
それじゃぁ、現実世界を生き延びることができません。
つまり、世界を生きるには行動の指針となる感情は不可欠というわけです。

そして、人は現実世界だけでなく、想像の中の世界も生きられるようになりました。
想像の中の世界であっても、その世界を生きるには指針が必要です。

いや、むしろ現実世界と結びついていない分、よけいに何らかの指針が必要です。
ただし、それは現実世界と一緒である必要はありません。

現実世界は、物理的な肉体があって、その肉体を維持したり、種を繁栄させるのがその世界の指針です。
つまり本能です。

でも、想像の世界は、物理的な肉体は直接関係ありません。
それより重要なのは、世界そのものです。
だって、その世界を想像しているのは自分なのですから。
つまり、想像の世界そのものをどうしたいかという指針が必要なんです。
理想の世界観というものが必要なんです。
世界を想像できるようになったとき、それと同時に、理想の世界観も生まれました。
理想の世界観を指し示す指針が生まれました。
それが「美」です。

想像した世界は、何らかの形で表現されます。
絵画であったり、言葉であったり、音楽であったり。
表現の形は問いません。
ただ、どんな表現にも目指すべき理想があります。
それが「美」です。

想像できる以上、必然的に美が生まれるわけです。
どっちか先かわかりません。
ニワトリが先か卵が先かどっちが先かわからないのと同じです。

いずれにせよ、表現だけなんてありえません。
何かを表現する以上、そこには「美」が必ず存在します。
たとえ数式であっても、数学者は、数式の中に美を感じます。
天文学者は、天体の動きの中に美を感じます。
生きることも表現の一つと考えたら、生き方の中にさえ「美」が存在します。
さて、あなたは、美しい生き方をしていますか?



はい、今回はここまでです、
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それから、動画で紹介した意識の仮想世界仮説に関しては、よかったらこちらの本を読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!