第545回 10万年タイムスリップした男


ロボマインド・プロジェクト、第545弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

人類と類人猿の違いは、二足歩行と脳の大きさです。
長年、どちらか先に進化したの論争がありました。
それが、1974年にエチオピアで発見された化石、ルーシーによって決着がつきました。

ルーシーは約300万年前の化石で、現代人と類人猿の中間的な特徴を持っています。
そして、ルーシーは二足歩行していましたけど、脳の容量はサルに近かったです。
つまり、二足歩行が先でした。

こんなふうに、人類の歴史は化石によって解明されてきました。
でも、人類とサルの違いって、もっと大事なことがいっぱいありますよね。
たとえば、言葉をしゃべるとか、絵を描くとか、神や宗教を持っているとかです。
つまり、心や脳の違いです。
でも、脳は化石で残りません。
だから、脳がどんなふうに進化して、どんな順序で、どんな機能を獲得してきたのか、さっぱりわかりません。
いや、生きている人であっても、脳のMRI画像見ただけじゃ、何を考えているのかわかりません。
これが脳の難しいところです。

これに対して、僕は、ある方法を使って解明しています。
それは、脳障害や精神疾患の、当事者の話を聞くことです。
本人が感じていることなのでまぎれもない真実です。
ただ、この問題の厄介なところは、本人はそれが当たり前と思っていることです。
ほかの人も同じように感じてるとおもっているんですよ。
そこで参考になるのが、普通の人が脳障害となって、また、元に戻った場合の証言です。
今まで当たり前にできていたことの何ができなくなったのか?
これがわかれば、脳が進化でどんな機能を獲得したのかがわかります。

それを体現しているのが、前回から紹介しているこの本『貧困と脳』の著者、鈴木大介さんです。

しかも、鈴木さんは、鬱や発達障害で貧困となった女性たちの取材を長年続けてきました。
だから、彼女らは、なぜ、当たり前のことができないのかといったことを、ずっと考え続けてきました。
その鈴木さんが、脳梗塞で倒れて自身が高次機能障害になってしまいました。
そして、彼女らが感じてた世界を、自身の脳で体験したんです。
鈴木さんは、約8年かけて回復しました。

これ、人類が10万年かかって獲得した脳の機能を8年で経験したといえるんです。
これが今回のテーマです。
10万年タイムスリップした男
それでは始めましょう!

前回、第544回でワーキングメモリの話をしました。
ワーキングメモリとは、今、起こっていることを一時的に保持する作業記憶のことです。
じゃぁ、ワーキングメモリがなくなると、どうなるとおもいます?

一瞬前のことすら覚えていられなくなります。
たとえば、コンビニで買い物するとするでしょ。
レジに表示される金額を見て、財布からお金を出そうとしたとき、いくらだったか、もう、忘れているんですよ。
ワーキングメモリがないと、こんなことすらできなくなるんですよ。
逆に言えば、人類の脳は、進化によってワーキングメモリを獲得したといえます。

この機能、じつは言葉を話すのに必要不可欠なんです。
自閉症の作家、東田直樹さんは、会話するとき文字盤を使います。

今、しゃべっている言葉を一言一言、指さして、それを口に出すんです。
なんでそんなことするのかというと、文字盤を指さしておかないと、今、何をしゃべっているのか忘れてしまうんです。
つまり、文字盤がワーキングメモリの役割を果たしているんです。
言葉を話すのにワーキングメモリが不可欠だということがわかりますよね。

ワーキングメモリがないと、目の前に見えるものしか認識できません。
世界とは、まさに、今、この瞬間に見えてるものだけでできています。
そんな世界観です。
今見えてる世界は、一瞬後に消滅しています。
一瞬後に見ている世界は、一瞬前に見ていた世界とつながっていません。
それが動物が感じている世界です。
人間は、ワーキングメモリを獲得したおかげで、一瞬一瞬がつながった世界を感じられます。
ワーキングメモリがあるおかげで、過去から現在、未来へとつながる世界観を持てるようになったわけです。

今回は、この真逆の話です。
それは、忘れられない記憶です。
脳梗塞の後、鈴木さんはある障害に悩まされました。
それは、自分に不愉快なことや失礼なことを言った人のことを一日に何度も思い出してしまう障害です。
誰にでもあることだと思いますけど、鈴木さんは、それとは絶対に違うといいます。
朝起きた時でも、散歩してるときでも、その人のことがちらっと思う浮かぶと、脳裏にそいつの顔が張りついて剥がれないそうです。
そんなこと、脳梗塞が起こる前には経験がしたことがなかったので、脳梗塞で何らかの機能が失われたことは間違いないです。
嫌なあいつの顔が脳裏の「そこにある」と気づいた瞬間、すべての思考は、その人物との不快なエピソードにロックされて、そのこと以外、一切考えられなくなるといいます。

しかも、その時のいら立ちや怒りの感情が、色あせることなく、生々しく蘇ります。
さらに厄介なのは、そうなってしまう自分をコントロールできないことです。
いわゆる、フラッシュバックです。
これが地獄だったそうです。

フラッシュバックに関しては、さっき紹介した東田さんも同じことを言っています。
東田さんにとって記憶とは、思い出すとか、そんな生易しいものじゃないそうです。
それは、ある瞬間、何の前触れもなく、突然、蘇るものだそうです。
思い出すというより、まさに今、体験してるかのように、まざまざと当時の感情がよみがえるそうです。
これ、鈴木さんがいってることと同じですよね。

戦争でPDSDとなった兵士も、帰国後、フラッシュバックが起こって、戦闘シーンをありありと思い出すといいます。
不思議なのは、フラッシュバックが起こるのは嫌な記憶の場合ばかりです。
楽しい記憶のフラッシュバックはあまり聞きません。
さて、これはどういうことでしょう。
それでは、これを読み解いていきます。

これを理解するには、まず、意識の仕組みを理解する必要があります。
人は、目の前の現実世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これを意識の仮想世界仮説といいます。

仮想世界というのは、コンピュータでいうと3DCGです。
コンビニで目の前にあるレジも、3DCGのレジを見ていると思ってください。
(画像は横に並べて表示する)
ただし、それが仮想世界とは意識は思ってもいません。
でも、自分が作ったレジなので、見えなくなっても保持しておくことができます。
この時使うのがワーキングメモリです。
だから、ワーキングメモリがなくなると、一瞬前のことも思い出すことができません。
一瞬でもレジから目を離すと、何円だったかわからなくなるんです。

さて、ワーキングメモリは今、この瞬間の短期記憶です。
今、取り上げているのは過去に自分が体験した思い出といった形の記憶です。
これはエピソード記憶といいます。

エピソード記憶は、当時の出来事を仮想世界で再現したものです。
このエピソード記憶を持っているのも、人間だけと考えられています。
チンパンジーは頭がいいので、言葉を教えると100以上もの単語を覚えることができます。
さらに「あのボールをもってきて、この箱に入れて」といった文も理解できます。
でも、昨日、こんなことがあったとかって、過去の思い出を語ることはないそうです。
つまり、エピソード記憶を持てないんです。
言葉を教えても、言葉ににできるのは、目の前に見える世界だけです。

さて、動物は本能に従って行動します。
たとえばカエルは、天敵の鳥を見たら逃げます。
エサの虫を見つけたら食べます。
これらは個体保存の本能に従った行動です。

カエルだけでなく哺乳類も同じです。
シマウマはライオンが追いかけてきたら必死で走って逃げますよね。
ライオンが見えなくなるまで逃げたら、ようやく安心します。

では、シマウマを走らせているのは何でしょう?
それは、ライオンの恐怖ですよね。
恐怖を生み出しているのは脳内にある一種の警告機能です。
危険を察知したら、危険がなくなるまで警告を発する装置です。
これによって動物は危険から逃げることができます。

この仕組みは、現実世界だけを認識する動物にはうまく機能していました。
ところが、人類は、エピソード記憶を獲得するようになりました。
エピソード記憶とは、過去の出来事を脳内で再現することです。
ただ、警告機能は、それが現実世界のことなのか、過去を思い出していることなのか区別がつきません。
だから、過去の嫌な思い出、怖かった出来事を思い出したら、警告機能が発動するんです。
これがフラッシュバックの正体です。

意識やエピソード記憶は、人間だけが持つ、比較的最近獲得した機能です。
それに対して、警告機能は、原始的な動物から持っている機能です。
つまり、警告機能は意識を獲得する以前の無意識の機能です。
無意識で動作するので意識ではコントロールできません。
だから、自分ではどうすることもできないんです。
このことは、東田さんも言っていました。
フラッシュバックが起こると、ただ待つことしかできないと。
嵐が過ぎ去るのを待つだけだと。
これがフラッシュバックの苦しいところなんです。

でも、普通の人は、フラッシュバックは起こりませんよね。
嫌なことを思い出すことはあっても、その時の感情がありありと思い出されるわけではありません。
フラッシュバックを経験したことがないと違いがわかりませんけど、鈴木さんは、この症状は脳梗塞前は経験したことがなかったもので、明らかに違うといっていました。
こういった主観でしか感じられないことを比較できるのは、鈴木さんみたいな両方を経験した人にしかわからないことです。
だから鈴木さんの経験は貴重なんです。

それでは、なぜ、僕らはフラッシュバック経験しないんでしょう?
それは、僕らはそれを抑制する機能も獲得したからです。
進化によって、仮想世界を使って現実世界を認識する意識の仕組みが生まれました。
意識は大脳の前頭前野にあるといわれています。
大脳は、哺乳類から大きく発達して、ヒトが最も発達しています。


したがって、哺乳類ぐらいから意識が生まれてきたんじゃないかと考えられます。
ただし、エピソード記憶といった高度な仕組みは人間ぐらい大脳が発達して生まれなかったようです。
進化でエピソード記憶が生まれると、それに合わせて警告機能も進化させないといけません。
つまり、意識が認識しているのが、今、目の前に起こっている現実世界か、過去を思い出した世界なのか区別しないといけません。
そして、過去の思い出の場合は、本気で警告を発するのでなく、「あの時は怖かったなぁ」程度に緩めるんです。
つまり、この緩和機能も進化で獲得したわけです。

鈴木さんが脳梗塞で損傷したのは、この緩和機能です。
進化で最近獲得した機能ほど、すぐに壊れやすくて、原始的な生物でももっている機能ほど、壊れにくいです。
だから、脳梗塞や発達障害などで最初に失われるのは、進化で最近に獲得した機能となるんです。
脳障害や発達障害の脳は、人類がこの10万年の進化の過程で獲得した途中段階の脳ともいえるんです。

さて、この緩和機能についてもう少し考えてみます。
緩和機能というのは、一種の自動調整機能です。
それは、仮想世界という仕組みをつかって世界を認識するようになって、脳が発明した新たな機能です。
このことは、第364回「明朝体が読めない、津軽弁を話さない自閉症」でも語りました。
じつは、自閉症の人に絶対音感を持っている人が意外と多いそうです。
音階は基準音のラが440Hzに調律されています。
普通の人は、これが多少ずれても気にならないですが、絶対音感の人は、1Hzでもずれると違和感を感じます。

これ、逆に言うと、普通の人は、その時聴く音楽にあわせて自動で調整してるとも言えます。
だから多少ずれても気が付かないわけです。

このことは、電圧計で考えるとわかりやすいです。

電圧って、乾電池の1.5Vから、コンセントの100Vまで幅が広いですよね。
電圧計は、それを正確に測定するために三種類の接続口があります。
乾電池を測定するtきには3Vの接続口を使います。
そこにコンセントの100Vの電圧をかけると、針が降り切れてしまいますよね。
つまり、入力電圧によって最適に調整する必要があるんです。
最適というのが、針が真ん中にあって程よく振れる状態です。
針が真ん中にあるときが、一番、変化を一番感じることができる状態です。

そして、普通の人は感覚に対して自動で調整する機能があるわけです。
だから、ラの音が440Hzから多少ずれても、それに気づかずに音楽を聴くことができます。
その自動調整機能が働かないのが絶対音感のある人です。
ちょっとでもずれると気づくわけです。

発達障害や自閉症の人は、絶対音感だけでなくて、感覚過敏の人も多いです。
感覚過敏というのは、たとえばセーターのチクチクが気になったり、街の雑音や他人の声が気になって集中できないとかです。
これも、自動調整機能が働かないと考えたらわかります。
ちょっとした刺激で電圧計の針が降り切れてしまうわけです。
自動調整機能があれば、ちくちくが普通と感じて気にならなくなりますけど、それができないわけです。

発達障害の人の中には、逆にほとんど感じない感覚鈍麻という人もいます。
これは、1.5Vの電圧を100Vの接続口で測ろうとしていると考えたらわかります。
いずれにしても自動調整機能が働いていないわけです。

第364回で紹介したのは、自閉症や発達障害の人で、ゴシック体は読めるけど、明朝体になると読めない人がいる話です。

明朝体というのは、文字は端にセリフといわれる装飾ががついていて、ゴシック体は装飾がありません。
普通の人は、文字を読むとき、装飾は自動で無視して文字本来の形をとらえることができます。
でも、自閉症や発達障害の人は、装飾にとらわれて文字本来の形が分からなくなるので、明朝体になると読めなくなるわけです。
これも、自動調整機能が機能していないと考えたら理解できます。

人は、脳が進化することで、過去の出来事を思い出すことができるようになりました。
それとともに、そのほかの機能も進化させる必要がでてきました。
その一つが、思い出すときには警告機能を緩和させる自動調整機能です。
人の脳は、この10万年の間に、どんどん複雑になってきています。
一度、10万年前の脳に戻って、また、現代脳に戻ってきたのが鈴木さんです。
これが10万年をタイムスリップした男の話です。



はい、今回はここまでです。
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それから、動画で紹介した意識の仮想世界仮説に興味があれば、こちらの本を読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!