第551回 最新意識科学は、どこを勘違いしたのか?


ロボマインド・プロジェクト、第551弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

今読んでる『脳の本質』ですけど、とうとう問題の最終章に来ました。

最終章のテーマは「意識」です。
じつは、この本、最初っから最後まで、ある一つのテーマに沿って書いてあったんですよ。
ただ、僕は今までそこには触れないように語ってきました。
そこに触れなくても、この本、本当に面白いし、素晴らしい本だと思います。
でも、やっぱりこれに触れないわけにはいかないです。
この本の中心テーマが何かというと、カール・フリストンの「自由エネルギー原理」です。
この10年ほど、意識は「自由エネルギー原理」で解明されるんじゃないかって言われているんですよ。
僕は20年以上、意識の研究を続けているので、結構前から、自由エネルギー原理のことは知っていました。
でも、正直、またかぁって思ってるんですよ。
「またかぁ」っていうのは、意識の量子脳理論とか、統合情報理論のことです。
いやぁ、どっちも間違っていたと結論は出てないですよ。
ただ、世間一般の見方は、どっちも眉唾だったなぁって流れになってきています。
だって、統合情報理論をグーグルで検索すると、サジェストキーワードのトップが疑似科学ですからねぇ。

じつは1年ほど前、124名の研究者が連盟で、統合情報理論は疑似科学とみなすって声明を出したんですよ。
ちなみに、3番目に出てくるのが「自由エネルギー原理」です。
そらkら、量子脳理論だとこんな感じです。

「死後の世界」とか「魂」とか、「トンデモ」とか、香ばしい香りがしますよねぇ。
これが意識科学に対する世間の目です。

ただ、こうやって意識科学を批判する人に、「じゃぁ、お前は意識についてわかってるのか?」って聞くと、たいてい、「いや、それは・・・」って口ごもります。
その点、僕の場合、「よくぞ、聞いてくれました」ってなるんですけど、誰も聞いてくれないんですよ。
だから、今日は、一人で勝手に解説します。
これが今回のテーマです。
最新の意識科学は、どこを勘違いしているのか?
それでは、始めましょう!

自由エネルギー原理というのは、生物の知覚、学習、行動を統一的に説明する脳の情報理論です。
この理論の核心は、生物システムが変分自由エネルギーというコスト関数を最小にすることで環境に適応することです。
脳は、内部モデルを使って環境を予測するとして、このとき、予測誤差を最小化することで適応します。

これに意識がどうかかわってくるかというと、予測誤差を感じるのが意識です。
どうやって感じるかというと、内臓からの内受容感覚です。
内臓の内受容感覚というのは、別の言い方をすれば感情です。

予測誤差が大きいとは、思い通りにならないことで、これは不快に感じます。
予測誤差が小さいとは、思い通りになることで、これは快に感じます。
不快を避けて、快を得るように行動するのが生物の行動原理ですけど、これは、まさに自由エネルギー原理に沿っているといえます。

こうしてみてみると、自由エネルギー原理で生物の行動から意識まですべて説明できそうです。
物理では、ニュートンの万有引力の法則とかアインシュタインの相対性理論とか、一つの数式でミクロからマクロまですべて説明できます。
理系の人は、これを理想として目指すものだから、つい、生物も、行動から意識まで、すべてを説明する一つの数式がないかと探すんです。
そして、統合情報理論も自由エネルギー原理も、一つの数式でこれらを解明します。
だから、これを理想とする理系の人を引き付けるんでしょう。
でも僕は、心は一つの数式ですべて説明できるほど単純とは思えないんですよ。
ここが僕とほかの意識の研究者の違いだと思います。

脳のどこに意識が存在するかの研究が本格的に始まったのは1990年代からです。
当初、みんなが探したのは意識に関係するニューロンを探すことです。

左右の目に別の画像を見せると、それが合成された画像が見えるんじゃなくて、左右の画像が交互に見えます。

これを、両眼視野闘争といいます。
ここで、どちらの画像が見えていると感じているのは意識ですよね。
そこで、どちらの画像が見えてるか、ボタンを押してもらって、その時の脳の状態を観察します。
ボタンが切り替わった瞬間に脳が変化した場所がわかれば、そこに意識に相関するニューロンがあると考えられますよね。

1998年、マックスプランク研究所のニコス・ロゴテティスはサルで調べたところ、側頭葉に意識に相関するニューロンが見つかったと発表しました。
同じ実験を行ったカール・フリストンは頭頂葉や前頭葉に意識と相関するニューロンを見出しました。

この時点で、すでに僕の考えとだいぶ違います。
まず、僕は意識に相関するニューロンなどないと思っています。

情報処理器官としての脳が最も近いのはコンピューターと考えます。
そう考えると、脳のニューロンはコンピューター回路に相当します。
脳をコンピューターとすると、心や意識はコンピューターで動くプログラムですよね。
コンピューターでは、いろんなプログラムが動いていますよね。
コンピューターには足し算回路とか掛け算回路とかいろんな回路があります。
それぞれのプログラムは、それらを共有して計算します。
一つのプログラムに専用に演算回路が割り当てられてるわけじゃありません。

脳にもいろんなプログラムがあって、そのうちの一つが意識プログラムと考えます。
そして、意識プログラム専用のニューロンがあるわけじゃないんですよ。
ニューロンは、いろんなプログラムで共通して使われます。
だから、意識に相関するニューロンを探そうとしたら、側頭葉とか頭頂葉とか前頭葉とかいろんな場所に見つかるはずです。
そもそも、意識に相関するニューロンを探そうってアプローチが間違っているというわけです。

それから、意識研究を見てて、いつも思うのは、意識を大雑把にとらえすぎてるってことです。
意識と一言でいっても、いろんな見方があります。
たとえば、眠ってるときは意識がなくて、起きているときは意識があるって言い方をしますよね。
それから、意識はどんな生物でもあるわけじゃなくて、進化によって獲得されたと考えられます。
じゃぁ、どこ段階の生物から意識を獲得したかとなるとこれはわからないですけど、おそらく哺乳類ぐらいからじゃないかと思います。

それから発達による違いもあります。
僕らは赤ちゃんの時のことを覚えてないですよね。
記憶があるのは、せいぜい3歳ぐらいじゃないでしょうか。
言葉をしゃべって、人として普通にふるまえるようになることを物心がつくとかいいますけど、これは脳が発達したからです。
脳の発達で、意識も変化したわけです。
それまでも意識はあったはずですけど、明らかに、意識も発達しています。

今、いろんなタイプの意識について考えてみましたけど、これら全部ひとまとめに意識とよぶなんて、あまりにも大雑把なんですよ。
僕は、寝てるときと起きてるとき、サルの意識と人間の意識、人間の意識でも赤ちゃんの時と、物心ついた後の意識、これらは全部違うものとしてとらえます。
じゃぁ、何が違うかというと、それはプログラムの中身です。
だから意識を解明するというのは、それぞれが、どんなプログラムかって見方になるんです。

僕とほかの意識研究との違いはこれだけじゃないです。
意識研究というのは、意識がどのように世界を認識して、どのように行動を決定するのかってことを解明することですよね。
多くの人はそう思っていますし、この本にもそう書いてあります。
でも、この考え方自体が間違っているんですよ。

ここ、一番重要なところなので、丁寧に解説します。
たとえば、目の前に机があるとか、リンゴがあるとかって思ったとするでしょ。
そう思っているのは意識ですよね。

机があるとかリンゴがあるとかって思えるのは、脳内でそういう情報処理をしてるからです。
そして、それを受け取っているのが意識ですよね。
ここで言えるのは、僕らが感じているのは、脳内で情報処理した結果だということだけです。
何が言いたいかわかりますか?

何が言いたいかっていうと、世界がある、目の前に机があるって前提から始めると、世界や机を作り出してるものがあるって視点を持てないんですよ。
多くの研究者は、机があるものとして、脳は、それをどうやって認識してるんだろうって視点なんですよ。
でも、そこが間違っているんですよ。
机があること自体、世界があること自体、脳が作り出しているんですよ。

いや、自由エネルギー原理は、そこはわかっています。
自由エネルギー原理には、生成モデルといわれる世界モデルが中心的な役割を果たしています。
そして、世界モデルの予測を最小にするのが自由エネルギー原理の考えです。

僕が言いたいのは、世界モデルじゃないんです。
そうじゃなくて、僕らは、世界モデルの中にいるって視点です。
その視点が抜けているんですよ。

どういうことかというと、生物は、感覚器を通して外界の環境を知覚しますよね。
でも、外部環境を知覚するだけなら、なにも世界があると思わなくてもいいんです。

世界があると思うのは、環境を知覚する一つの手法です。
別の手法もあるわけです。

進化的に古い生物は、原始的な方法で環境を知覚しています。
魚とかカエルは、知覚したパターンで反射的に行動してるだけです。
カエルは、天敵の鳥の影を検知したら、反射的に逃げます。
ハエの動きを検知したら、反射的にハエを捕まえます。
こんな生物なら、センサーとマイコンで簡単に作れます。
そんなロボットに意識はないですよね。
じゃぁ、どうやって意識が生まれたんでしょう。

センサーが進化したからでしょうか?
ちがいますよね。
じゃぁ、何が進化したんでしょう。
それは、プログラムです。
外界からの情報を、どのように処理をするようになったのかって視点が必要なんです。

もっと言います。
外界からのデータを処理した結果を受け取るのが意識プログラムですよね。
今の視点で考えると、大事なことが見えて来ます。
それは、意識が受け取るデータが変化したってことです。

カエルは、鳥の影、ハエの動きってパターンに反射的に反応していました。
でも、僕らはリンゴがあるって形で認識しますよね。
カエルやロボットには意識はないといいましたけど、処理して行動を決定するプログラムはありますよね。
鳥の影とか、虫の動きのパターンが入力されたら、どう行動するか決定するプログラムです。
IF文でできた簡単なプログラムです。

IF 鳥の影なら、どう行動する。
ELSE IF 虫の動きならどう行動するってプログラムです。

一種の行動決定プログラムです。
これを意識と呼ぶかどうかは、意識の定義で決まります。
これを原始的な意識と定義すれば意識となるだけです。
カエルに意識があるかないかって議論には、あまり意味がないんですよ。

それは置いといて、僕らのもつ意識プログラムは、カエルの行動決定プログラムよりかなり複雑なことは間違いないです。
どこが複雑かというと、知覚情報の処理内容です。
それは、鳥の影とか虫の動きってパターンじゃありません。
そうじゃなくて、まず、世界があって、その中にリンゴがるとかって形式で意識に提示します。
カエルと全然違うでしょ。

何が言いたいかっていうと、僕らは、そうやって情報処理された世界を認識している意識プログラムだってことです。

僕ら自身がシステムの中のプログラムだってこと。
これが、科学にはない視点です。
これが、内側からの主観の視点です。

それに対して、科学は客観です。
科学は、主観を排除して、誰が観測しても同じとなる客観を重要視します。

でもですよ。
今、説明しましたけど、客観的な世界があるという考え、それ自体、脳が作り出しているんですよ。
揺らぎのない客観的な世界があって、その中に生きているのが主観をもった生物だと科学は信じています。

でも、じつは、それは逆なんですよ。
揺らぎのない客観的事実という世界をつくりだしているのは脳です。
客観的世界なんて、脳が作り出した幻想です。

世界が存在するという幻想を作り出す脳という装置を解明するのが意識科学のあるべき姿です。
意識は、脳という複雑な装置で動く一部のプログラムにすぎないんです。
そして、僕らも意識というプログラムにすぎないんです。

じゃぁ、そのプログラムはどんな処理をすることで、世界があるとか、リンゴがあるとかって認識するのか。
そのデータは、保存したり、取り出したりできるのか。
それが記憶じゃないのか。
記憶という仕組みがあるから、時間という概念が生まれるんじゃないのか。
こういったこと、すべてコンピュータ・プログラムで再現できそうですよね。
これらすべてを表現する一つの数式があるとは思えないですよね。

中世の世界観は、神や教会が作り上げていました。
それに反旗を翻して、16世紀に科学革命がおこりました。
神や天動説など幻想だというわけです。
観測可能な客観的な事実に基づいて世界を科学で正しく捉えようというわけです。
この思想の基、科学が発展して、現代の科学技術による社会が作られました。

科学革命からおよそ500年が経ちます。
そろそろ、次の時代に入ってもいいころだと思います。
次の時代というのは、科学が信じた客観的に正しい世界もまた、主観が作り出した幻想だという世界観です。
この新たな世界観の基、AIを含めて、人類は次のステージに今、立とうとしています。

と、ここまでは序章で、ここからが本題なんですけど、今回は、序章だけで終わってしまいました。
本題というのは、自由エネルギー原理の視点からみた意識は、今までの科学を越えられないという話です。
意識というものを、新しい科学の視点で解釈すると、何が見えてくるかっていうのが本題です。
その話は次回に回します。




はい、今回はここまでです。
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それから、新しい科学の考え方について知りたい方は、こちらの本に詳しくかいてありますので、よかったら読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!