ロボマインド・プロジェクト、第553弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今日は、この本『意識はどこからやってくるのか』の紹介です。
信原幸弘(のぶはらゆきひろ)先生と渡辺正峰(まさたか)先生の共著です。
渡辺先生といえば、第482回でも紹介しましたけど、意識をクラウドにアップロードするマインド・アップロードの研究をしている脳科学者です。
もう一人の信原先生は哲学者で、専攻は心の哲学です。
昔から科学と哲学はとにかく仲が悪いです。
ロボマインド・プロジェクトの第一回の動画のサブタイトルも「物理学 vs 哲学」でした。
それから、今、『チ。-地球の運動について-』っていう、面白アニメをやっています。
マンガの表紙は、地動説を唱えて絞首刑に処せられてる、なかなか衝撃的な絵です。
舞台はおよそ500年前の中世のヨーロッパで、宗教から科学へと時代の変わる様子をスリリングに描いています。
科学と哲学の対立はこのころからあります。
というか、それ以前は科学は哲学の一部だったのが、科学が前面に出てきて、哲学が後ろに追いやられたって感じです。
この500年の人類の進歩は、科学技術のおかげです。
でも、科学ではどうしても扱えないものが最後に残されています。
それが、意識です。
意識の解明には、科学者の視点だけじゃ見えないものがあります。
だから、哲学者の視点も必要なんです。
この本、意識について、科学者と哲学者の二人は微妙に対立しています。
そこにこそ、意識の本質があるんですよ。
今、時代が大きく変わろうとしています。
科学者と哲学者の考え方の違いを見ていたら、今、どういう時代にあるのか、その本質が見えてきます。
これが今回のテーマです。
意識はどこからやってくるのか
それでは、始めましょう!
脳と意識の関係といえば、最初は二元論か一元論かです。
これは、心と脳は一体か別かってことです。
肉体が死んだあと、魂が天に昇るとか考えるのは、脳と心は別と考える立場で、これが二元論です。
死んだら心もなくなると考えるのが一元論です。
約500年前の哲学者デカルトは二元論を唱えましたけど、現代の科学者のほとんどは一元論と考えます。
まぁ、これは妥当だと思います。
一元論は、じつは、さらに心的一元論と物的一元論の二つがあるそうです。
心的一元論というのは、この世のすべては心が作り出しているという哲学的立場だそうです。
映画マトリックスでは、人々が生きて生活してると思っていたら、それはすべて幻想だったって話でしたけど、あれが心的一元論の考え方です。
物的一元論というのは、心だけがあるんじゃなくて、物、つまり物体としての脳がまずあって、脳が心を作り出しているという考えです。
ほとんどの人は、こちらを信じていると思います。
ここまでは異論はないと思います。
意見が分かれるのはその次です。
機能主義と心脳同一説です。
これについて詳しく説明します。
心脳同一説というのは、言ってみれば心は脳にしか宿らないということです。
脳以外、たとえばコンピュータで心や意識を作り出すことはできないという考えです。
それに対して、機能主義というのは、機能が同じであれば脳以外にも心は宿ると考える立場です。
つまり、心や意識をもったAIがあり得るという立場です。
心の哲学には、哲学的ゾンビという有名な思考実験があります。
提唱したのは意識のハードプロブレムで有名なオーストラリアの哲学者、デイヴィッド・チャーマーズです。
たとえば、見た目は普通の人と全く人と同じようにふるまうゾンビがいたとします。
悲しかったら泣きますし、痛かったら痛いといいます。
でも実際は、そのゾンビは何も感じていないんです。
悲しくもないし、痛くもありません。
ただ、外から見たら実際に感じているとしか見えません。
これが哲学的ゾンビです。
果たして、哲学的ゾンビはあり得るのでしょうか?
実は、哲学的ゾンビは機能主義への批判として作り出されたものです。
機能主義というのは、機能さえ同じであれば、心があるとする考えです。
でも、哲学的ゾンビの思考実験から分かる通り、いくら見た目が同じ機能でも心があるとは言えないというわけです。
これに対して機能主義は、機能が同じなら心があると断言します。
一般に哲学者は機能主義に否定的だそうですけど、信原先生は機能主義の立場をとるそうです。
信原先生が言うには、「痛い」の機能は、痛そうな顔をしたり、「痛い」というだけじゃなくて、痛みを和らげる行動や、手当てするといった行動をとることすべてを指します。
これらすべての機能を満たすとすれば、必然的に、意識は「痛い」と感じているはずです。
つまり、「痛い」の機能を実現できた時には、心は「痛み」を感じているはずです。
逆に言えば、「痛み」という心的現象だけ存在しなくて、それ以外すべての機能を満たすことなどありえないというわけです。
そして、心脳同一説の問題点も指摘します。
心脳同一説というのは、脳は心と同一という考えです。
ということは、脳の中に痛みを担当するニューロンがあるとします。
それを取り出してシャーレで培養すれば、それは痛みになるはずです。
はたして、それを痛みといっていいんでしょうか?
つまり、痛みを手当てする行動や、痛みを感じる体がなくても痛みという心的状態だけ存在することなどあるかという問題です。
渡辺先生は、心をクラウドにアップロードするマインド・アップロードを目指しています。
これは、心をクラウド・コンピュータで動かすので、これは機能主義になります。
ただ、よく聞くと、渡辺先生の考えは機能主義とも違うんです。
どこが違うかというと、渡辺先生は、必ずしも機能はなくてもいいと考えています。
それより重要なのは、意識の原理だといいます。
ニュートンの万有引力の法則とかアインシュタインの相対性理論のような自然法則です。
そして、脳が自然法則に則って作用したとき必然的に生み出されるのが意識です。
これを、意識の随伴現象説といわれるものです。
つまり、意識を生み出す自然法則があるという考えです。
ただ、まだ、それが見つかってないだけです。
デイヴィッド・チャーマーズもこの立場に立ちます。
この考えは、自然科学の法則に則るので、科学者としては自然な考えだと思います。
相対性理論とか量子力学とか、20世紀になって新たな科学理論が次々に発見されました。
意識を説明する理論も、そのうち発見されるということです。
このあたりになると、どれが正しいのかわからなくなってきますよね。
というか、なんか違う気がします。
どこがそう思うかというと、なんか、整理の仕方がまずいんじゃないかと思うんですよ。
つまりね、科学者が追い求めているのは自然法則ですよね。
自然法則の上に意識は成り立つとかんがえるわけです。
一方、機能主義というのは、まず、機能があると考えるわけですよね。
機能というのは、何らかの目的があって、それを実現する方法とか仕組みのことです。
でも、宇宙というのは何らかの目的のために存在するわけじゃないですよね。
そうじゃなくて、万有引力の法則とか、相対性理論とか先に物理法則があるわけです。
物理法則に則って動いているのがこの宇宙です。
ただ、この世界には、目的をもって動くものもあります。
それは何かというと、それは生命です。
生命は、自らの命を長らえようとか、自分らの種を繫栄させようという目的にそって行動しますよね。
別の言い方をすれば、個体保存の本能とか種の保存の本能です。
つまりね、僕が思うに、最初に分けるべきは、ここだと思うんですよ。
ここからは僕の考えです。
今までの心身一元論か二元論かって分け方、ここから変えたら、意識の問題が、もっとすっきり見えてくるんですよ。
それじゃぁ、やってみますよ。
これが僕の考えた分類です。
まず、最初に法則主義と目的主義とわけます。
法則主義というのが、自然法則のことです。
ここには、万有引力の法則とか相対性理論とか量子力学があります。
これは宇宙のありとあらゆるところに作用する法則で、目的があって作用するものじゃありません。
それに対するのが目的主義です。
これは目的をもって行動するもので、生命のことです。
もちろん、生命も物理法則の影響も受けますけど、目的を持った行動の方がはるかに影響が大きいです。
さて、今、やろうとしているのは心や意識がどこに分類されるか決めることです。
心や意識は生命体が持つものなので、目的主義の側になりますよね。
生命にも植物や動物などいろいろありますけど、心や意識を持つのは動物ですよね。
植物も意識をもつという考えもありますけど、現代科学の主流ではないので除外します。
現代科学の主流の考えとして進化があります。
なので、生命は進化して、最終的に意識を獲得するようになったと考えます。
さて、動物の体は進化しましたよね。
羽が生えて空を飛べるようになるとか、首が伸びて高い木の葉っぱを食べられるようになるとかです。
人間の場合、樹上生活していたサルから地上に降りて直立二足歩行するようになりました。
いずれも、環境に適応して、より長く生きる、種を繁栄させるという目的のもとに進化しています。
このような体の進化をハードウェアの進化と呼ぶことにしましょう。
体を制御するのは脳ですよね。
そして脳も進化したはずです。
これを、ソフトウェアの進化と呼ぶことにします。
ハードウェアの進化は目に見えるのでわかりやすいですけど、ソフトウェアの進化はわかりにくいです。
そこで、ソフトウェアとはどういうことか、具体例を挙げて説明します。
たとえば、視覚処理で考えてみます。
目の網膜からの映像は後頭葉の一次視覚野に送られて、そこから頭頂葉の背側視覚路と側頭葉の腹側視覚路にわかれます。
腹側視覚路は、色や形を分析する、見たものが何かを判断するので「何の経路」と呼ばれています。
背側視覚路は、位置や動きを分析するので「どこの経路」と呼ばれています。
たとえばコーヒーカップを見たとき、色や形から「コーヒーカップだ」と認識するのが「何の経路」です。
一方、位置や方向、奥行きなどを分析して、コーヒーカップの取っ手がどこにあって、どのように取っ手を掴んだらいいのかって分析するのが「どこの経路」です。
これがソフトウェア的な処理です。
そして、進化的にみて、どこの経路は古くて、何の経路が新しいということもわかっています。
たとえば、カエルは、天敵の鳥の影を感じて素早く逃げます。
つまり、進化的に古い動物でももっているのがどこの経路ということです。
それに対して、目に見えてるものが「リンゴだ」とか「コーヒーカップだ」と認識できるのはかなり進化した脳をもたないとできないということです。
「コーヒーカップ」と認識して、手を伸ばして取っ手を掴みますけど、じつは、それは進化的に異なる二種類の処理経路で行っているんですよ。
でも、そんな違いがあるなんて言われても、よくわからないでしょ。
これが、ソフトウェアの進化の難しいところなんですよ。
そして、こんな脳内処理が具体的にわかってきたのは、脳科学が進歩した、ここ30年~50年ぐらいのことです。
それなのに、500年前の一元論か二元論かって分類をいつまでも使いつづけるのは、そろそろやめにした方がいいんじゃないかと思うんですよ。
もうちょっと続けます。
脳内のソフトウェアの処理では、そのほか、ワーキングメモリとか記憶とかあります。
たとえば、第544回で、ワーキングメモリがうまく働かなくなった鈴木さんを紹介しました。
鈴木さんは脳梗塞で倒れた後、今まで当たり前にできたことができなくなりました。
たとえばコンビニで買い物するとき、レジに表示された金額を見て、財布からお金をとりだそうとしたら、レジから目を離した瞬間、何円だったか忘れてしまうそうです。
たった今みたことを覚えておくのって自然とできて、当たり前だと思いますよね。
でも、目の前にないものを覚えておくには、それを保持するワーキングメモリの機能が脳内にあるからできるんです。
おそらく、こういった機能も進化で獲得したと思うんですよ。
そのほか、昨日、なにがあったとかって記憶を思い出すことができますけど、記憶する機能も脳の進化で獲得した機能です。
最後に盲視の話をします。
盲視というのは、さっき説明した二つの視覚処理経路のうち、何の経路が損傷して目が見えなくなる脳障害です。
その人は、「何が見えますか」ときいても、「見えないのでわかりません」と答えます。
黒板をレーザーポインターで照らして、光点を指さしてくださいといっても「見えないからできません」といいます。
そこで、「あてずっぽうでもいいから、適当に指さしてください」って言います。
そしたら、なんと、ちゃんと指させたんです。
なんでかというと、その人は「どこの経路」は生きていたので、光点の位置はわかるからです。
ここで注意してほしいのは、その人は「見えない」と言ってたことです。
じゃぁ、見えないと思っていたのは何でしょう?
それは、意識ですよね。
その人は、「何の経路」が損傷していたんですよね。
つまり、このことから意識は「何の経路」の先にあると思われます。
おそらく、意識は、何の経路経由でどこの経路にもアクセスしていたんでしょう。
だから、どこの経路にアクセスできないから、指させないと言ってたわけです。
でも、意識がアクセスできないだけで、どこの経路は生きていました。
だから、あてずっぽうで指さしたらできたんです。
意識があてずっぽうでも、実際に手を動かしたのは、意識の下の無意識です。
さっき、「どこの経路」は「何の経路」より進化的に古い生物でも持っているといいましたよね。
つまり、進化的に古い脳は、意識がなくても適切に行動できるわけです。
このことから、意識は進化によって、比較的最近、獲得されたものといえます。
さて、もう一度、この図を見てみましょう。
脳内でソフトウェアが進化して何の経路が生まれて、さらにその先に意識が生まれたわけです。
こうして整理してみると、心や意識を議論するとき、何を議論しないといけないかみえてきますよね。
心や意識は脳に宿るというのが心身一元論です。
これは今までの考えと同じです。
一番の違いは、最初の分岐です。
それが目的主義と法則主義です。
意識を説明する自然法則を探そうというのは、法則主義になります。
でも、それは意識とは別の枝に属することがわかりますよね。
つまり、意識の自然法則を探そうという考えは間違いだと言えます。
この図だと、意識はソフトウェアの先にあります。
ソフトウェアは何らかの機能を実現するものなので、機能主義の考えの方は正しいと言えます。
ただ、僕が言いたいのは、機能主義が正しいということじゃありません。
それより重要なのは、脳の中の機能とは、ソフトウェアだという考え方です。
さっき、脳科学が進歩したのはここ30年~50年ぐらいといいましたよね。
500年前にはわからないことがかなりわかってきたわけです。
それと同じく、500年前にはなかったものがあります。
それは、コンピュータです。
心や意識が脳の進化で生まれたと考えたら、脳内のソフトウェアがどのように進化したかって視点が必要です。
心や意識とは何か。
コンピュータの登場で、500年ぶりに、意識の見方が変わったんです。
それは、僕らの心や意識は、一種のソフトウェアだという見方です。
これは、500年まえの科学者や哲学者じゃ、絶対に持てなかった視点です。
そういう意味で、今、非常にスリリングな時代にきているんです。
はい、今回はここまでです。
この動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!
第553回 意識はどこからやってくるのか