ロボマインド・プロジェクト、第555弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今読んでるのが、この本『意識はどこからやってくるのか』です。
著者は、哲学者の信原幸弘(ゆきひろ)先生と、科学者の渡辺正峰(まさたか)先生で、ふたりが意識についてそれぞれの考えを主張します。
信原先生は、意識には何らかの機能があるとする機能主義を唱えていて、渡辺先生は、脳内の自然法則の結果として生じるのが意識とする随伴現象説を唱えます。
僕は、どちらかというと機能主義の立場に立つので、前回、その機能を生物の進化から説明してみました。
今回は、意識から一歩進めて自己とは何かです。
ここでも哲学者と科学者で意見が対立しますけど、僕はどちらの立場でもありません。
意識とか自己といった問題は、哲学でも科学でもなく、それらを超越した第三の方法でないと解決できないというのが僕の立場です。
これが今回のテーマです。
自己とは何か!
哲学者 vs 科学者 vs 田方
それでは、始めましょう!
古代から、哲学者は思考実験で理論を考えていました。
最近まではこれで問題なかったんですけど、この50年ぐらい、そう簡単にはいかなくなってきたんですよ。
どういうことかというと、医学の進歩で、様々な問題が出てきたんです。
たとえば脳死は、心臓が生きてて脳だけ死んだ状態ですけど、じつは、脳死って人工呼吸器がないと起こりません。
つまり、人工呼吸器が発明されて初めて出てきた問題なんです。
つまり、哲学者が想像もしなかったことが現実には起こっているんですよ。
機能主義の立場に立つ信原先生は、たとえば「痛み」といった知覚は、傷や病気を手当てする機能のためにあるといいます。
だから、痛みを感じるニューロンをシャーレで培養しても、手当てすべき肉体をもたないのでそれは痛みとは言えないといいます。
これは、意識は脳にしか生じないとする心脳同一説に対する反論として語られました。
たしかに、なるほどと思います。
このチャンネルでは神経学者のラマチャンドラン博士の幻肢の話を何度か取り上げています。
幻肢というのは、事故で失った腕を感じる現象のことです。
幻肢で厄介なのは、失った腕に痛みやかゆみを感じた時です。
なんせ、痛みを感じる体が存在しないんですから。
まぁ、それはいいとして、少なくともここから、体がなくても痛みだけが存在する現象が実際にあり得るってことはわかりますよね。
ラマチャンドラン博士は、さらに、存在しない腕の痛みを取り除く手術にも成功しました。
しかも、使ったのは鏡一枚です。
興味がある方は第291回を見てください。
それから、失った指が頬っぺた現れることも突き止めました。
この絵の1~5というのが、親指から小指までの位置になります。
なぜこうなったかというと、脳内で手と顔が隣接していたからです。
脳には感覚野といって、体がマッピングされた領域があります。
感覚野で手と顔が隣り合っているんです。
現実の手が無くなったことで、感覚野の手と顔のマッピングがうまくいかなくなって、頬に手がマッピングされたようです。
これで、その患者は、手がかゆくなった時、頬っぺたをかけばかゆみがおさまるようになったそうです。
手を失うと、その感覚は頬っぺたにあらわれるなんて、そんなこと、頭で考えてもわかりませんよね。
医学の進歩で、自分とは何かといった問題が、哲学的な問題から脳の問題に置き換わってきたわけです。
さて、今回のテーマは自己とは何かです。
人格の同一性に関して哲学で議論されるときの代表的な説に「身体説」と「記憶説」があります。
身体説は、身体が連続的であれば同じ人格と考えて、記憶説は、記憶がつながっていれば同じ人格と考えます。
マインドアップロードを研究している渡辺先生は機械に記憶を移植しようとしてますけど、これは機械に同じ記憶を持たすことで、自己を生き永らえようとしているわけです。
つまり記憶説です。
でも、記憶がなくなっても自分であることには変わらないですよね。
たとえば、第317回で紹介した大庭さんは、脳梗塞で倒れて今までの一切の記憶をなくしました。
さらに、起きている間は記憶を保つことができますけど、夜寝て、朝起きると昨日の記憶をすべて忘れてしまいます。
それから去年、『アンメット』というドラマがありました。
主人公は交通事故にあって、新たな記憶を覚えることができなくなりました。
それで、朝起きると、まず、日記を読んで、事故に遭ってから今までのことを思い出します。
思い出すというより、記憶を植え付けるといった方が正しいです。
これ、よく考えたら、マインドアップロードと同じことをしようとしていますよね。
機械じゃなくて自分の脳というのが違いますけど、記憶を植え付けることで自己の同一性を保とうとするのは同じです。
じゃぁ、身体説はどうでしょう。
身体説の大前提は、自分というのは、自分の体という点です。
ただ、これもそう言い切れないんですよ。
どういうことかというと、自分の体が自分の体と思えない障害があります。
これを身体完全同一性障害といいます。
この話は、第297回で取り上げました。
デヴィッドは、自分の足が自分の足と思えなくて、これは偽物の足だって、物心ついた時からずっと違和感を感じていました。
そして、最終的にデヴィッドは自分の足を切断する手術を受けました。
足を切断して、生まれて初めて、すべて自分の体だと思えて安心したそうです。
このことから、自分とは自分の体であるという大前提すら怪しいといえますよね。
思考実験は、哲学者だけでなくて科学者も行います。
ニュートンは、地上に落ちないぐらい速くボールを投げたらどうなるかという思考実験をして、地球の周りをまる物体を考えて、そこから万有引力の法則を導き出しました。
アインシュタインは光と同じ速度で移動する思考実験から相対性理論を導きだしました。
これは思考実験がうまくいった例ですけど、うまくいかない場合があります。
それが、自己とは何かといった、意識とか主観に関する場合です。
なぜうまくいかないかというと、自分以外の自分を経験したことがないからです。
記憶がない自分や、自分の足を自分の足と思わないなんて想像したこともないし、想像するもできません。
ということは、自己とは何かとかって、客観的に判断するしかないということでしょうか?
でも、たとえば同窓会で、「やぁ、久しぶり、俺、田方」といって、「いや、絶対、田方じゃないわ」ってみんなに言われたら、田方じゃなくなるんでしょうか?
それも、なんかおかしいですよね。
本人かどうかは本人にしかわからないはずです。
そこで、渡辺先生のマインドアップロードの話です。
渡辺先生のやり方は、まず、脳のすべてのニューロンを電子顕微鏡で読み取ります。
そして、読み取ったニューロンの配列をそっくりそのままコンピュータで再現して機械脳を作ります。
機械脳も人間と脳と同じで右脳と左脳があります。
そして、まず、人間の右脳と、コンピュータの左脳をつなげます。
すると、半分機械脳、半分生体脳の状態になりますよね。
この状態で一つの意識があれば、それは自分です。
その状態で過去の記憶を思い出すことで、機械脳に自分の記憶を移植します。
移植出来たら、生体の右脳とコンピュータの右脳に切り替えます。
そうすると、完全な機械脳に意識が移ります。
そのあと、生体の体が死んだとしても、自分は永遠に機械の中でいきられるというわけです。
注意してほしいのは、これは思考実験じゃなくて、渡辺先生は、実際にこれをやろうとしてるってことです。
もし、これができたら、コンピュータを解析することで、意識とは何かを解明できますよね。
ただ、さすがに、実現できるまで、10年やそこらでは無理だと思います。
ただ、ここには重要なヒントがあります。
それは、科学でも哲学でも解明できない新しい意識の解明の仕方です。
それは工学的なアプローチです。
これだけじゃ意味が分からないと思うので、まずは、科学や哲学のアプローチのどこが問題か、それについて説明します。
科学者は、この世界は自然法則で成り立っていると考えます。
量子から宇宙まで、ミクロからマクロまで、何らかの自然法則で動いている。
だから脳内にも、意識を生み出す自然法則があるはずだ。
それを見つけようとするのが科学者の考え方です。
科学が生まれる前は哲学や宗教がこの世界について考えていました。
宇宙は神がつくったとか、脳とは別に心や魂があるとか、いろんな考えがあります。
だから、心の問題を考えるとき、最初に考えるのは心と脳は同じか別かっていう一元論と二元論から始まります。
こうしてみると、科学的な考えと、宗教や哲学的な考えのどちらのアプローチが正しいのかってなりますよね。
でも、意識を考えるとき、その前提から見直さないといけないと思うんですよ。
つまりね、宇宙は何らかの自然法則で成り立っていて、ビックバンで宇宙は始まったのか、それとも神が作ったのか、どちらが正しかって問いから見直そうってことです。
いや、僕も、宇宙はビックバンから始まったと思いますよ。
でも、神が宇宙を作ったと考えることもできるし、昔の人はそう考えていたわけですよね。
つまりね、まず問うべきは、なぜ、そう考えることができるってことです。
そう考えると、どちらにも共通するものがありますよね。
それは、星があるとか、宇宙があるとかです。
または、目の前にリンゴがあるとか、世界があるとか。
それから、世界の中に自分がいるとか、自分の体があるとかです。
そう思うのは科学者も哲学者も宗教家も、みな同じですよね。
だって、当たり前ですから。
でも、まずは、そこから疑うべきなんですよ。
だって、さっき、腕がなくなっても腕があると思ったり、自分の足が自分の足でないと感じる障害の話をしましたよね。
つまり、自分の体があると思うなんて当たり前じゃないんです。
でも、確かに、自分の体があると感じていますよね。
じゃぁ、その体はいったいどこにあるんでしょう?
それは、脳の中です。
脳の感覚野に自分の体がマッピングされているわけです。
この部分が存在するかぎり、腕がなくなっても腕があると感じるわけです。
逆に、感覚野の足の部分が消えたとしたら、実際の自分の足でも、それが自分の足と感じないわけです。
これでわかってきましたよね。
自分とはどこにあるのか。
それは、実際の体じゃなくて、脳の中です。
脳の中の感覚野です。
じゃぁ、感覚野は脳のどこにあるでしょう?
それは、大脳です。
ということは、大脳がなければ自分というものを感じられないんでしょうか?
これは脳の進化の系統発生図です。
これを見てわかると思いますけど、大脳が発達してきたのは哺乳類になってからです。
それも感覚野がはっきりあるのはヒトの脳です。
おそらく霊長類ぐらいから感覚野が現れたと思われます。
ということは、それ以前の動物は、自分の体があるという感覚を持てないわけです。
でも、自分の体があると思えなかったら、行動できないじゃないでしょうか?
いや、そんなことはありません。
前々回、脳には「何の経路」と「どこの経路」があるって話をしました。
物を見たとき、色や形からそれが何かを分析するのが「何の経路」です。
一方、位置や動きを分析するのが「どこの経路」です。
何か動きを感知して、さっと逃げるって行動は、「どこの経路」で行っています。
そして、この「どこの経路」は、進化的に古くて、「何の経路」は進化的に新しいってこともわかっています。
つまり、進化的に古くて、大脳が発達していない生物でも、環境に適応して行動できるわけです。
そして、大脳が発達していない生物は、感覚野が存在しないから、自分の体って感覚を持たずに行動してるわけです。
逆に、大脳が発達して感覚野が生まれると自分の体を感じるわけです。
また、「何の経路」が生まれると、目の前にリンゴがあるって感じます。
つまり、世界の中にものがあるとか、自分があるって感じるわけです。
ここまで脳が進化して、初めて、世界がある、世界の中に自分がいるって感じることができるわけです。
じゃぁ、世界がある、自分がいると感じているのは何でしょう?
それは意識ですよね。
つまり、進化で大脳が発達して、意識が生まれたわけです。
元の話に戻ります。
科学者は、宇宙は自然法則で動いていると信じています。
宗教家は、宇宙は神が作ったと信じています。
でも、宇宙があるとか、世界があるとかって感じられるのは何の経路があるからです。
目の前にリンゴがあると感じられるのは、目の前にリンゴがあるからじゃないんです。
目の前にリンゴがある世界を脳内に作り出しているから、そう感じられるわけです。
リンゴを作り出しているのが何の経路です。
リンゴだけじゃなくて、目の前に見える世界、これらすべて脳内に作り出された仮想世界です。
世界があるから、世界があると思うんじゃなくて、脳内に世界を作り出したから、世界があるとおもうわけです。
大脳が発達していない生物は、世界があるなんて思っていません。
そう思わなくても環境に適応して行動できています。
目に見える世界を脳内に作り出せるということは、目に見えない世界も作り出せるということです。
目の前にない遠くの世界だったり、過去の世界だったりです。
だから、この世界を作った神というものも想像できるわけです。
想像できるのは、目に見える具体的なものだけじゃありません。
目に見えない力も想像できます。
だから、宇宙のすべてに作用する万有引力の法則とか想像できるわけです。
つまり、科学ですら、この仕組みの中で起こっているわけです。
じゃぁ、この仕組みとは何でしょう。
それは、脳内に仮想的に世界を作り出して、それを認識する意識という仕組みです。
神も科学も、すべてこの仕組みの中で生み出されたものです。
それだけじゃありません。
この世界の中に自分もいます。
世界には、自分だけじゃなくて、他人もいます。
自分を模して作られたモデルです。
だから、自分と同じように痛みを感じます。
痛みを感じる他人と自分がともに存在するのが人間社会です。
そして、相手も自分と同じように世界があると感じて、相手がいると感じているわけです。
同じ世界観をもつから、コミュニケーションが取れます。
その時に使うのが言語です。
科学から宗教、哲学、言語まで、すべて同じ仕組みの上で成り立っているでしょ。
その仕組みというのが、仮想世界を作って、それを認識する意識という脳の仕組みです。
意識を生み出す自然法則とか、魂の存在とか、そういった考え自体、この仕組みの中で起こっているんですよ。
だから、意識を解明するには、この脳の仕組みを解明するのが最も正しいやり方です。
これは、どちらかというと工学的な手法になります。
その方法の一つとして、渡辺先生がやろうとしているのが、機械脳で人間の脳を置き換える手法です。
ただ、これは技術的にかなり難しくて現実的じゃありません。
そこで、僕は、脳の仕組みをプログラムで再現する手法を取っています。
具体的には、現実世界を仮想的に構築する仕組みとか、その仮想世界を認識する意識プログラムを作るとかです。
そして、そうやってコンピュータで作った心Iが人間とコミュニケーションを取れるなら、その心は人間と同じ心といってもいいんじゃないかってことです。
このような心をコンピュータで再現して解明する方法を僕はシステム心理工学と呼んで、21世紀の新たな学問として提案しています。
システム心理工学については、たとえば第491回をご覧ください。
はい、今回はここまでです。
この動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それからシステム心理工学の基本となる意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本を読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!
第555回 自己とは何か! 哲学者 vs 科学者 vs 田方
