ロボマインド・プロジェクト、第582弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
皆さんは、幸せになりたいと思いますよね。
人は幸せになるために神や宗教を生み出しました。
でも、宗教は戦争やテロも起こします。
幸せになろうとお金を稼ぎます。
でも、そのために逆に不幸になる人もいます。
動物は、宗教もお金も持たないし、戦争もしません。
人間は、どこで間違ったんでしょう。
でも、考えてみてください。
人類は、間違いなく、この地球で最も繁栄している生物です。
人類はホモ・サピエンス一種だけで、他の人類は絶滅しました。
つまり、人類は正しい進化の結果と言えるんです。
そう考えたら、神も戦争もお金も幸せも、すべて進化が生み出したと言えます。
これって、考えたらすごいことです。
何がすごいかっていうと、たった一つの法則で神から幸せまで全て説明できるんです。
これが今回のテーマです。
人は、なぜ、幸せになりたいのか?
それでは、始めましょう!
今まで読んできたオリヴァー・サックスの『幻覚の脳科学』ですけど、今回が最後です。
最終章のテーマは「幻肢」です。
幻肢について考えながら総まとめをしたいと思います。
事故や戦争で腕や足を切断することがあります。
失ったはずなのに、まだ腕や足があるように感じることを幻肢といいます。
存在しないのにあると思うという意味で、幻肢も幻覚の一種といえます。
まずは、幻肢と幻覚の違いから考えます。
視覚を失った人が見る幻覚にシャルル・ボネ症候群があります。
シャルル・ボネ症候群が起こる割合は10~20%です。
それに対して、腕や足を切断して幻肢を経験するのはほぼ全員だそうです。
それから、シャルル・ボネ症候群は人によってさまざまなものが見えるのに対して、幻視で感じるのはかつて自分が持っていた腕や足だけです。
本物の足に腫物があった人は、幻視の足にも腫物を感じるそうです。
本物の腕に、いつも腕時計をしていた人は、幻視の腕に腕時計を感じるそうです。
その意味では、幻肢は一種の記憶のように思えますけど、そうでもないんですよ。
なんと、生まれつき手や足がない人でも、幻肢を感じるそうです。
つまり、手や足を持った経験がない人にも幻肢があるんです。
手や足を失った人は、義肢を付けますよね。
夜に幻肢に悩まされていた人が、朝に義肢を装着すると幻肢が消えることはよくあるそうです。
幻肢は義肢が完璧に融合するからです。
これらのことから、幻肢というのは腕や足を切断して人だけが持つんじゃなくて、誰でも幻肢を持っているとサックス先生は言います。
どういうことかというと、手や足を失ったとき、その位置にあった手や足の幻が出現するわけです。
斬新ですけど、確かにそうおもいます。
自分の体というのは、脳の中にあるボディイメージです。
ボディイメージは、脳の体性感覚野にマッピングされています。
これが幻肢の元です。
だから、手や足を切断しても、体性感覚野の手や足がある限り、手や足を感じるんです。
たとえ、生まれたときから手や足がなくても、体性感覚野に手や足がある限り、手や足を感じるわけです。
僕らはこの肉体が本体と思っているじゃないですか。
そして、手や足を切断したら、幻の手や足を感じるわけです。
でも、これって逆なんですよ。
本体は、幻の方なんですよ。
そして、幻の手や足に、肉体の手や足を重ねているんですよ。
だから、手や足を失うと、本体の手や足が出現するんです。
それが幻肢です。
それから、義肢を装着したら幻肢が消えましたよね。
義肢は体の替わりです。
替えが効くということは、肉体の方が幻といえます。
逆に、替えが効かないのが脳内にあるボディイメージ、つまり幻肢です。
だから、幻肢の方が本物と言えるんです。
幻肢は、最初は、自由に動かすことができますけど、しだいに動かなくなることがよくあります。
ところが、動かなくなった幻肢の手を再び動かす方法があるんです。
どうやるかというと、鏡を使います。
左手が切断されて、左手の幻肢があるとします。
その場合、幻肢の左手の位置に鏡に映った右手が来るようにします。
その状態で右手を動かすと、左手も動いてるように見えます。
それを見ていたら、幻肢の左手も動くようになるんです。
どうしてそうなるかというと、体というのは、フィードバックで存在を感じます。
手を動かせって脳から手に指令が出ると、筋肉を動かして手を動かします。
それと同時に、動いた手の関節から、どれだけ動いたかって信号がフィードバックで脳に戻されます。
脳は、このフィードバックから手が動いたと感じます。
ところが幻肢の場合、フィードバックを感じられません。
だから、次第に幻肢が動かなくなるんです。
ところが、鏡を使うことで視覚からフィードバックが得られます。
これで、幻肢が生き返るんです。
この方法を考えたのが、このチャンネルでも何度も紹介している脳科学者のラマチャンドラン博士です。
さて、さっき、ボディイメージの方が本物だといいました。
本物というか、中身です。
逆に、実体のある肉体は中身をいれる容器です。
容器の役割は、フィードバックです。
手を伸ばして壁に手が当たると、壁があると感じますよね。
これもフィードバックです。
これが現実感です。
これを感じるから、体があると確信が持てるんです。
さて、本題はここからです。
僕らは、体があると感じます。
そのリアリティは、物体に触ったりぶつかることで作られます。
でも、体の中身は脳内にあるボディイメージです。
それは、物理的な実体じゃなくてデータです。
そして、それがあるのは大脳の体性感覚野です。
つまり、自分の体のイメージは、脳が進化して、大脳に体性感覚野が生まれて初めて持てるようになったわけです。
つまり、自分の体というイメージは進化で獲得したものです。
ここまではいいですよね。
次は、自分とか自我です。
自分とか自我は、一段上の抽象概念です。
でも、僕らは自分がいると確信しますよね。
じゃぁ、その確信はどこから生まれるのでしょう?
自分の体の確信は、フィードバックから得られるっていいましたよね。
手がほかの物体に触れたとき、手の存在を感じます。
その時感じたのは、物質としての手です。
つまり、触れるといった相互作用することで、作用した対象と同種の性質を持っていることが確認できわけです。
それと同じです。
自分という抽象的な概念を感じるには、同じレベルの概念と相互作用することで確認できます。
たとえば、テストの点数が相手の方が高いとわかると、相手の方が頭がよいと感じるわけです。
かけっこをして、自分が速かったら、運動は自分が上だと感じるわけです。
そうやって、自己が確立されていきます。
そうやって確立される自己も、脳内のデータですよね。
自分というデータをお互いに比較し合うわけです。
こんな比較ができるのもデータとしての自分を持てるからで、それができるのは大脳がここまで進化したからです。
でも、大脳がなくても立派に生きている生物はいっぱいいます。
じゃぁ、大脳とか関係なく、すべての生物が普遍的に備えているものは何でしょう?
それは本能ですよね。
個体保存の本能とか種の保存の本能とかです。
そして、種の保存の本能が種を進化させます。
つまり、脳があろうとなかろうと、生物は進化の大原則、種の保存の本能に従って進化してきたわけです。
これって考えたらすごいことです。
だって、最初の生命体が誕生したのは38億年前です。
そこから今の人類まで貫く法則があるわけです。
それが、強い種を残して種を繁栄させようとする種の保存の本能です。
具体的には、メスは強いオスに魅かれるとかです。
そうやって、強い個体の子孫が増えていきます。
それは、魚類や両生類、爬虫類、哺乳類と進化しても変わらず続きます。
魚やカエルは反射や反応だけで生きていましたけど、哺乳類になると大脳で世界を認識するようになります。
どうやって認識するかというと、目で見た現実世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、仮想世界を介して現実世界を認識します。
仮想世界の中に物や人を配置して認識することで、「ものがある」とか、「人がいる」と認識することができます。
そして、その中に自分も含まれます。
自分というのは体性感覚野にあるボディイメージです。
つまり、データです。
大脳を獲得することで、あらゆるものをデータとして認識できるようになりました。
そして、それらがあると認識するのが意識です。
つまり、意識の発生です。
それまでの生物は、環境への反射や反応だけで生きていましたけど、意識は、世界やもの、人をデータとして認識します。
データとして認識するとは、比較できるようになったということです。
注意してほしいのは、意識をもつようになっても、種の保存の大原則は維持されるということです。
つまり、人間もそれ以外の生物も、メスは強いオスに魅かれます。
どっちが強いかっていうのが、最も重要な要素です。
この「どっちが強いか」が進化を押し進めてきた原動力です。
ただ、人間以外の生物の場合、強いは体が大きくて力があるという意味ですけど、人間の場合、お金とか社会的地位も含まれます。
お金も社会的地位も実体があるわけじゃなくて、単なるデータです。
でも、同じ種類のデータであれば比較できます。
だから、どっちがお金持ち、どっちが社会的地位が高いって比較できます。
この場合も、「どっちが強い」って進化の大原則は正しく機能しているわけです。
次は幸せについて考えます。
幸せを定義するのは難しいですけど、ここではマズローの五段階欲求から考えます。
1段階目の生理的欲求は、食べないと死ぬという段階です。
たとえば、山で遭難して、食料が尽きて、何とか食べ物を探さないといけないという状況です。
それが、食べ物を安定して確保できるようになると、次は、屋根のある安全な場所でゆっくり寝たいなぁと思います。
これが二段階目の安全欲求です。
食べ物もある、安全も確保されたとなると、次は人とつながりたいと思います。
家族を持つとか、SNSでつながるとかです。
これが三段階目の社会的欲求です。
さて、SNSでいろんな人とつながって、社会的欲求が満たされました。
ただ、SNSに投稿しても、あまり「いいね」が付きません。
でも、投稿するたびに、みんなが「いいね」する人がいます。
うらやましい。
あの人みたいになりたい。
これが、さらに上の段階、4段階目の承認欲求です。
どうも、人間は、ある段階にいるとき、上の段階に行きたいと思うようです。
そして、上の段階に行くと幸せを感じます。
でも、その段階にしばらくいて、それが当たり前になってくると、さらに上の段階に行きたいと思います。
そして、上の段階に上がったときに幸せを感じるわけです。
上の段階にあるのは、幸せだけじゃありません。
上の段階の方がモテることも間違いないです。
つまり、ここに進化の大原則が作用しているんです。
つまりね、進化って、強い子孫を残すプログラムでしょ。
体が強いなら、プログラムに最初から組み込むことができます。
でも、現代社会で強いとは、お金持ちとか、フォロワー数が多いとかです。
つまり、環境の変化が起こったわけです。
進化は、環境の変化にも対応しているわけです。
実によくできた仕組みです。
さて、お金もフォロワーも手に入れました。
これが最後でしょうか?
いや、そんなことはありません。
その次の段階があります。
それは、最後の段階、自己実現です。
この段階は、もう、お金やフォロワーじゃ満足しません。
それらは他人の評価です。
他人の評価なんか関係なく、「自分らしく生きたい」「自分のやりたいことをやりたい」って思います。
他人軸でなく自分軸で生きる段階です。
これが自己実現欲求です。
ここで、不思議なことがあります。
承認欲求は、他人に評価される生き方です。
他人に評価されるんだから、モテるのはわかります。
でも、自己実現欲求って、他人の評価なんか関係ないわけです。
「自分らしく生きたい」って、いってみれば自分勝手な生き方です。
ところが、お金持ちより、こっちの方がモテるんです。
キャー、ジュリーって感じです。
ジュリー?
まぁ、いいです。
お金や名声を追求するより、好きなように生きている方が、社会的影響も高いわけです。
そして、承認欲求段階の人は、それを見て、自己実現段階に行きたいって思うわけです。
ようやく幸せを手に入れたと思ったのに、まだ、幸せになれないわけです。
上の段階がある限り、幸せになれないんです。
じゃあ、最終段階の自己実現段階に来れば幸せなんでしょうか?
じつは、そうじゃないんですよ。
マズローは、亡くなる直前、第五段階の上に第六段階を作ったんです。
第六段階は、「自己超越の欲求」です。
それは、自己とか自分を超越したいという欲求です。
それは、自己とか自分を解体してなくします。
自己とか自分って、脳内のデータでしたよね。
肉体でなく、脳内の自己が本物です。
そして、自己って、他人との相互作用、他人との比較で確立されるものでしたよね。
それが、自己がなくなるということは、もう、他人との比較ができません。
幸せは、他人との比較して、他人より高い位置にいることで感じてきました。
それが、自己が解体されると、それもできません。
つまり、幸せも感じなくなります。
いや、そうじゃありません。
自己がないということは、自分と他人、自分と世界との境界がない状態です。
脳内に作り上げてきた仮想世界が崩壊して、自分と世界が一体となった状態です。
言ってみれば、悟りを開いたような人です。
そして、その状態で喜びを感じるとすれば、他人の幸せ、みんなが幸せになることです。
それが自分にとっての幸せです。
これが究極の幸せです。
よくできていると思うのは、究極の幸せを目指すと、社会全体がよくなることです。
そして、もちろん、そんな段階にある人は、めちゃくちゃモテます。
つまり、進化の大原則がこの段階でもきちんと機能しているんです。
いやぁ、じつによくできていますよね。
38億年前に誕生した生命からあるのが進化の大原則です。
どんな生命も、この大原則からは決して逃れることはできません。
そして、その進化の原動力は、尽きることのない幸せになりたいという思いにあります。
だから、誰もが幸せになりたいと願うんです。
はい、今回はここまでです。
この動画がおもしろかったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、意識の仮想世界仮説に興味があるかたは、よかったらこちらの本を読んでください。
それじゃあ、次回も、おっ楽しみに!
第582回 人は、なぜ、幸せになりたいのか?