第592回 チューリングテストの本当の意味


ロボマインド・プロジェクト、第592弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
 
20世紀の初め頃、科学のほとんどの問題は解決して、残るは、あと少しだと思われていました。
ところが、20世紀の終わりごろ、全く手つかずの問題があることに人類は気付きました。
それが「意識」です。
そうやって、科学者だけでなく哲学者も巻き込んで意識科学が生まれました。
 
それから30年以上経ちますけど、意識科学は目覚ましい成果を上げたとは言えません。
その一番の原因は、主観を科学でどう扱っていいのかわからないからです。
科学は客観的に観察して、それを数式などのモデルに置き換えます。
そこで、意識科学も量子力学とか情報理論とかをつかって、いろんな数式モデルが提案されました。
ただ、対象が主観という時点で、そもそも科学の範疇に含まれないんです。
それを無視して、無理やり数式で表現しようとしても、そりゃ、うまくいきません。
そのことに誰も気づいていないんです。
 
いや、唯一、気付いていた人がいます。
それは、人工知能の生みの親、というよりコンピュータの生みの親、アラン・チューリングです。
数学者のチューリングは、1936年にチューリングマシンという計算モデルを提案しました。
その後、1940年代になってコンピュータが作られました。
そして1950年に「チューリングテスト」の論文を発表しました。
この論文こそが、人工知能の始まりの一つとも言われています。
まだ、人工知能という言葉が生まれる前のことです。
 
そして、この「チューリングテスト」こそが、主観を科学で扱う画期的な方法の提案となるんです。
このことについては、前回、詳しく語ったので、まだ見てない方は前回の動画を見てください。
要点だけ説明すると、客観的観測をする科学では、観察者は系の外にいます。
たとえば、太陽系を外から見て、太陽の周りを惑星が回っているというモデルを作るわけです。
一方、チューリングテストは、AIと会話して、そのAIが心をもっているか人間が判定します。
つまり、会話という系のなかに観察者がいるわけです。
 
系の中に観察者を置くって、科学の枠組みじゃ考えられません。
そんな、とんでもないことを思いつくところが天才です。
チューリングは数学者ですけど、心を数式で記述しようとは考えませんでした。
そういう表面的なことより、意識とは何か、心とは何かって根本的なところを考えたわけです。
今回は、ここをさらに深堀していきます。
 
これが今回のテーマです。
チューリングテストの本当の意味
それでは、始めましょう!
 
意識科学は当初から哲学もかかわってきました。
実際、チューリングテストが発表されたのは、「Mind」という哲学の論文誌でした。
前回は、僕が提案する感情駆動型世界モデル、略してEMP(Emotion-driven multi-world psychological)モデルを科学の側面から説明しましたけど、今回は、哲学の側面から説明しようと思います。
 
哲学者デイヴィッド・チャーマーズは、意識のハードプロブレムを提唱しました。
脳を観察すると、神経細胞をどのように情報が伝わるかがわかります。
こうやって解明できるものをイージー・プロブレムと言います。
一方、脳を観察しても、どのようにして主観的経験が生まれるのかは見えません。
これを意識のハードプロブレムと言います。
イージープロブレムとハードプロブレムの間には、大きなギャップがあるわけです。
これは科学の限界を示すものとも言えます。
 
科学の中で、たとえば物理世界には、万有引力の法則がありますよね。
これによって地球は太陽の周りを回りますし、地上ではリンゴが地面に落ちます。
惑星の動きは望遠鏡という観測装置によって客観的に観測できます。
 
今度は主観世界を考えてみます。
街で親しい友達を見かけたら声をかけて近づきますよね。
逆に、あまり会いくない人を見かけたら離れて気付かれないようにします。
自分の体を制御しているのが心とか意識です。
意識は、好きとか嫌いって感情を感じて、行動を決定しているわけです。
これ、物理世界の引力と同じといえそうです。
 
じゃぁ、物理モデルとの違いは何でしょう?
それは、感情は物理的に観測できません。
なぜ、物理的に観測できないかというと、感情は物理世界にないからです。
感情があるのは、主観世界です。
物理世界と世界が異なるんです。
 
ということは、意識の理論モデルを考えるとすれば、主観世界で作ればいいんです。
物理世界で考えようとするからうまくいかないんです。
そうじゃなくて、物理世界とは別の世界を想定して、その世界で完結する理論モデルを考えるんです。
ただ、その世界は物理世界からは見えないし、物理世界の法則が機能しません。
無理やり、物理世界の法則を当てはめようとしても、心は見えてこないし、意識は幻想だ、自由意志は存在しないとかってなるんです。
 
意識のハードプロブレムも同じです。
意識とかクオリアは物理世界とは別の主観世界にあります。
それを、物理世界から見ようとするからハードプロブレムになるんです。
なぜ、物理世界から見ようとするかというと、それが、伝統的な科学だからです。
でも、主観世界を扱うのに伝統的な科学で扱わないといけないなんて決まりはないです。
主観世界も扱える科学を作ってもいいんじゃないでしょうか?
チューリングテストというのは、じつは、新しい科学の枠組みの提案なんです。
主観を扱う新たな科学です。
 
もう少し深堀りします。
チューリングテストの論文のメインテーマは「模倣ゲーム」です。
「模倣ゲーム」というのは、人間を模倣するコンピュータという意味です。
チューリングが取り上げたのは、模倣する機械としてのコンピュータです。
 
科学の出発は、観測装置でしたよね。
ガリレオは望遠鏡を使って惑星の運動を観測しました。
だから、科学の基本は客観的観測なんです。
その科学の基本を、チューリングは観測装置から模倣装置に切り替えたんです。
チューリングテストというのは、そういう、科学の根本を問い直す試みだったんです。
それによって、物理世界の科学を主観世界まで拡張しようとしたわけです。
 
ただ、これだけじゃ、まだ、主観世界と物理世界の違いがよく分からないと思うので、別の例で考えてみます。
ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見しました。
万有引力の法則とは、あらゆる物体は互いに引き寄せ合うという法則です。
ダイアグラム

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。
これが理論モデルです。
EPMモデルは人は感情によって動かされるという理論モデルです。
たとえば、好きな人には近づきたいとか、好きな人といると嬉しく感じるとか。
嫌いな人、危険は状況からは遠ざかりたい、好きな人が遠くに行くと悲しく感じるとかです。
人の心も、万有引力の法則と同じように力が作用しているといえますよね。
じゃぁ、物理世界と主観世界で何が違うんでしょう。
それは、物理世界には共感がないんです。
 
たとえば、ペットが亡くなって悲しんでいる人がいたとするでしょ。
それを見て、「あぁ、好きなペットがいなくなったから悲しんでいるんだな。
人は、好きなものが近くにいると嬉しくて、遠く離れると悲しいから、この人は悲しんでいるんだな」
そう思ったとするでしょ。
でも、これは共感とは言えません。
万有引力の法則を説明しているのと同じです。
つまり、客観的な観測です。
 
僕は、コーギーを飼っていました。
犬の顔

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。
「ろっこう」っていいます。
めちゃくちゃかわいくて、いつも一緒にいました。
元気だったんですけど、年を取って腸の難しい病気になりました。
ただ、薬が効いてくれて、散歩もできて普通に暮らせていました。
でも、最期の数カ月はほとんど歩けなくなっていました。
食事も、自分からは食べなくて、ペースト状の餌を注射器みたいなので食べさせていました。
トイレの世話もしないといけないので、ずっと足元にいて、付きっ切りで世話をしていました。
それでも、用事とかでろっこうのそばを離れないといけないことがあります。
そしたら、ワォーンとかって僕を呼ぶんですよ。
そんなときは、急いで駆けつけて、抱っこして、そばにいるよってなでてやると落ち着きます。
家の隣に小さいマンションを建てて、毎週日曜、僕がマンションの掃除をしていました。
その日も掃除をしてたら、ワォーンて鳴くので、すぐ駆けつけて鳴きやんだら掃除に戻ってを繰り返していました。
マンションの3階の掃除をしてた時も鳴いてたんですけど、もうちょっと待ってって言いながら掃除してたら、鳴きやんでくれました。
掃除が終わって急いでろっこうの元に戻ったら、すでに、ろっこうが亡くなっていたんですよ。
あれだけずっと一緒にいたのに、最期の瞬間、いっしょにいてあげれなかったんですよ。
ろっこうを抱きしめて、ごめんね、ごめんねって謝り続けていたのを思い出します。
ペットを亡くしたって聞くと、いつも、ろっこうの最期を思い出します。
大切なペットが亡くなるって、本当に悲しいことですよね。
 
これが共感です。
客観的観察とは明らかに違うでしょ。
 
客観的観察というのは、リンゴが木から落ちるのを見るとかです。
現象を見て、地球がリンゴを引き寄せる重力を想像するわけです。
 
ペットが亡くなって、悲しいんだろうなぁって想像するのも観察です。
でも、これは共感とは言えません。
共感は、相手の立場になって、自分も悲しいと感じることです。
人の行動の原動力は感情です。
楽しい時は体が軽くて動きたくなります。
悲しい時は体が重くて、何もしたくないと感じます。
これが感情です。
 
悲しんでいる人を見て、自分も悲しくなるのが共感です。
これは物理世界では起こりません。
木から落ちるリンゴをみても、自分がリンゴを引き寄せることはできません。
物理世界は、外から観察するしかできないんです。
というか、自分は系の外にしかいないんです。
 
でも、主観世界は違います。
自分が系の中に含まれるんです。
系に含まれるというのは、自分自身が系に作用する力を感じるということです。
主観世界は、相手が感じていることを、自分も感じることができるという関係が成立します。
別の言い方をすれば、系の内側にいて、系を作り上げている要素自身にしか、相手が同じ仲間か判断できないわけです。
これがチューリングテストです。
 
たとえば自閉症の人は共感力に欠けるといいます。
だから、相手の間違いをストレートに指摘したりします。
こんなことを言うと、相手は傷つくだろうなと、相手の気持ちを感じ取れないわけです。
平気で上司の間違いを指摘したりして、「えっ」って、周りの人が引いたりします。
この「えっ」って引く感覚を持てることが同じ仲間、同じ社会に属しているってことです。
これを、心拍数とか、呼吸とか測定して、こういう状況で「えっと」引いたから、同じ心をもつと判断するのが客観的観測世界の科学です。
主観的世界の科学は、周りの仲間と同じように、自分が「えっ」となることで、同じ心を持つ仲間と判定するシステムです。
 
ここを、もう少しシステムっぽく説明します。
意識は、いってみれば手足を制御するコントローラです。
コントローラは、何らかの入力データに基づいて行動を決定します。
入力データというのが、感覚や感情です。
 
暑いと感じたら冷房を入れて、寒いと感じたら暖房を入れます。
でも、これぐらいならエアコンでもしていますよね。
じゃぁ、エアコンとの違いは何でしょう?
 
まず、入力データの種類です。
エアコンは、気温しか感じませんけど、心は気温だけじゃなくて、世界があるとかって感じます。
そう感じるためには、視覚情報から世界そのものを組み立てて、意識はそれを感じます。
情報によって組み立てられた世界があって、意識はそれを受け取って、世界がある、世界の中に自分がいると感じるわけです。
この自分というのが意識のことで、今の場合ならコントローラです。
つまり、僕らの意識はコントローラの中にあるんです。
 
ここ、重要なので、もう少し丁寧に説明します。
まず、視覚センサーで外部の情報を検知して、仮想世界を組み立てます。
そして、仮想世界の情報を受け取って、体を動かすコントローラがあるわけです。
僕らは、そのコントローラです。
 
これをシステムの外から観察したらだめなんですよ。
システムの中にあるコントローラが僕らなんです。
コントローラは、センサーから作り出された仮想世界を見るしかできません。
今、目の前に見えている世界は、コントローラからみた仮想世界です。
重要なのは、僕らはシステムの内側にいるということです。
 
これが主観世界です。
僕ら自身がシステムの中にいるわけです。
だから、客観的に観測できないんでです。
だから、科学の対象とならないんです。
 
でも、それは近代科学が、望遠鏡といった観測装置から生まれたからです。
でも、僕らは新しい装置を生み出しました。
それがコンピュータです。
コンピュータは観測装置じゃありません。
なんでも模倣できる模倣装置です。
たから、人の心も模倣できます。
つまり、人間社会というシステムに組み込むことができます。
人間社会に組み込まれて、人間と同じように動作するコンピュータ。
それを、AIまたはAGIと呼びます。
 
コンピュータができて、初めて人間と同じ心をもったAIが作れるんです。
望遠鏡という観測装置から科学が生まれました。
コンピュータから模倣装置が生まれました。
観測装置から模倣装置に代わったのなら、科学も新しくなるべきじゃないでしょうか。
それが、主観も扱える新しい科学です。
 
はい、今回はここまでです。
この動画がおもしろかったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、良かったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!