ロボマインド・プロジェクト、第72弾
こんにちは、ロボマインドの田方です。
赤ちゃんが獲得したものシリーズの4回目です。
このシリーズでは、生まれたばかりの赤ちゃんが、言葉を話して、人間社会に溶け込むまでを解説しようと思っています。
人と、コミュニケーションできるには、何が必要か、その根本を探ることが目的です。
赤ちゃんは、はじめ、自分も世界も区別なく、ごっちゃごちゃの世界にいるわけです。
そこから、頭の中に世界を創り上げていきます。
世界には、自分と、自分以外の外の世界があります。
目で見たり、感じたりするものを、そのまま外の世界として作り上げるわけです。
これは机、これは椅子って、認識したものを世界の中に作り上げていくわけです。
そうやって、外の世界が作り上げられるわけです。
そうやって作られた外の世界が、他の人と共有する外の世界となるわけです。
でも、その外の世界は、その子が見たり、感じたりして作った世界ですよね。
必ずしも、他の人も同じように見えてるとは限らないですよね。
その子にしか、見えてないものがあるかもしれないんです。
何もない空中を指差しして、笑ったりしてる赤ちゃんとか、いますよね。
この子にしか見えないものが見えているのかなとか、思いますよね。
亡くなったおじいちゃんがきてるのかなとか。
でも、大きくなるにつれて、そんなのが、だんだん、無くなってきます。
成長とともに見えなくなってきたわけです。
ここ、もう少し掘り下げて考えてみましょう。
たしかに、目で見てるってことは、物理世界にあるものを見てるんだから、幽霊とかが見えるはずはありません。
でも、それは、ちょっと違うんですよ。
意識が認識してるのは、外の世界を直接じゃないです。
頭の中に作った仮想世界を認識してるんです。
詳しくは、第21回「意識の仮想世界仮説」をご覧ください。
意識は、外の世界を直接見てるんじゃなくて、自分で仮想世界を創って、それを見てるんです。
現実の物理世界にあるかどうかは、必ずしも関係ないんです。
意識は、外の世界を直接見てると思いこんでるだけなんです。
でも、本当は、見てる世界も自分が作った世界なんです。
だから、もしかしたら、本当は目で見えてない物を作り出してるのかもしれないんですよ。
僕の子供の時の話をしますね。
僕が住んでた家はね、リビングから、こう廊下がでて、その先が階段なんですよ。
子供部屋は2階にあって、晩御飯を食べ終わったら、その廊下を通って2階に上がるんです。
廊下の途中に洗面所があるんですけど、まっすぐ前見て歩いてたら、いっつも、洗面所に黒い人影が見えるんですよ。
もちろん、そんな人いないですよ。
パッと横向いたら消えますけど。
洗面所の壁にバスタオルが掛けてあって、廊下を歩いてると、視界の端にバスタオルが見えるんですよ。
どうも、そのバスタオルを人影と勘違いするんだと思います。
たぶん、無意識が、そのバスタオルの影から、人影を生成してるんだと思います。
でも、廊下を通るたびに、洗面所の壁に、男がこう、へばりついてるように感じるんですよ。
めちゃめちゃ怖いんですよ。
家族は、誰もそんなこと言わないから、たぶん、それは自分にしか見えないってわかってました。
つまり、理屈ではわかってるんですよ。
でも、見えるんですよ。
たぶん、小学校、高学年ぐらいまで、見えてたと思います。
でも、いつの間にか見えなくなってたようです。
見えなくなると、そんなのが見えてたことも忘れてしまうもんです。
大きくなってから、ふと、そういえば、子供の時、廊下通るのめっちゃ怖かったなぁって思い出したんです。
そう言うもんですよね。
最近、自閉症の子供の話を聞くことがあるんですけど、ものすごく、参考になるんですよ。
自閉症の子って、コミュニケーション能力が低いっていいますけど、その代わり、普通の人には見えない物が見えるようなんです。
学校から帰るとき、何もないとこに挨拶したり、何もない空中に話しかけたりとか。
たぶん、その子が見てる世界には、何かがいるんでしょう。
自分が創り出す仮想世界に、無意識が何かを創り出してるのかもしれません。
たぶん、そういうのって、子供の頃、誰でも見えてたものじゃないかなって思うんです。
たぶん、他の人に見えるものだけ残して、自分にしか見えないものを削除する機能があると思うんです。
その機能があるから、他の人と共有できる世界が出来上がると思うんです。
コミュニケーションって、他の人と共有できる世界がないとできないわけです。
まず、自分で見て、感じたものから、共通の世界を作るわけです。
ほんで、あれ何?とか指さしたり、会話してコミュニケーションしながら、他の人と共通に認識できるものと、自分にしか認識できないものが分かってくるわけです。
そうしてるうちに、自分にしか見えない物は、作り出さないようになるわけです。
他人からのフィードバックで世界を調整してるわけです。
たぶん、自閉症の子って、この、他人からのフィードバックで世界を調整する機能が弱かったりするんじゃないかなと思います。
他人からのフィードバック機能があるから、他人と共有できる世界が作られるわけです。
この機能があるから、コミュニケーションができるわけです。
さて、こっから、もっと突っ込んで考えてみます。
他人とコミュニケーションするのに必要なのは、他人と共通の世界です。
自分にしか見えないものは共通の世界にならないって話でした。
じゃぁ、逆に、目で見えなくても、他人と共有できれば、それをつかってコミュニケーションできると言えます。
どういうことかわかります。
目に見えないけど、他人と共有できるものって、いくらでもあります。
たとえば、お金です。
目で見て、さわれるのは、ただの紙きれです。
それに1万円とかって価値を共有すればいいわけです。
そうなった途端、ただの紙切れが1万円の価値となって、いろんな物と交換できるわけです。
1万円の価値があるのは、みんなの脳の中ってわけです。
もっと根本的な物もあります。
記憶とかです。
昨日の遠足、楽しかったよねって。
そう言うコミュニケーションができるのは、昨日、起こった出来事を記憶する機能があるからです。
そして、昨日の遠足をお互いに共有できるからです。
でも、遠足の思い出って、物理世界に存在しません。
あるのは、脳の中です。
それから時間です。
時間も見たり、触ったりできない物です。
直接感じれるものじゃありません。
昨日と今日の間にあるのが時間です。
ものごとが起った順に並べて管理する仕組みを持っていて、その順番に管理するデータ構造が時間っていうわけです。
そのデータ構造があるのは、脳の中です。
そして、前回話した社会の仕組みも同じです。
何度も同じ絵本を読むことで、頭の中に、社会の仕組み、ルールが共有されるわけです。
悪いことをしたら罰が当たるとか。
良いことをしたら、良いことが起こるとか。
どれも、物理世界にないルールです。
存在するのは、同じ社会の人の脳の中です。
そのルールを共有して、社会が成立するわけです。
これがコミュニケーションというわけです。
こうやって見てみると、コミュニケーションって、脳に同じ機能がある者同士でしか成立しないわけです。
愛犬の誕生日パーティしても、その状況を覚える仕組み、いわゆるエピソード記憶をもってないと、誕生日の思い出は存在しないわけです。
だから、犬は、誕生日の思い出は持ってないわけです。
誕生日パーティの写真を見ても、その時のことを、思い出すことはできなんです。
同じ時を過ごしても、脳にその仕組みがないと、思い出を共有できるわけじゃないってことです。
自分の考えを相手に伝えたり、相手の気持ちを理解したりって。
それって、ものすごく複雑な仕組みが必要なわけです。
自分の考えが相手に伝わるって、ほとんど奇跡と言ってもいいかもしれないです。
次回は、その仕組みの中で、最も複雑な仕組みについて考えてみます。
それでは、次回もお楽しみに!