ロボマインド・プロジェクト、第96弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
僕らが、つい、勘違いしてしまうのは、世界は全て認識できるって感覚です。
でも、その考えは、ちょっと違うんですよ。
何が違うかって言うと、僕らが、考えたり、認識できることは、意識が認識できることだけなんですよ。
人は、頭の中でいろんなこと考えれますよね。
頭の中で考えれるのは、頭の中に仮想世界を作ってるからです。
詳しくは、第21回「意識の仮想世界仮説」を見てください。
頭で認識できるのが、仮想世界だけなら、仮想世界にないことは、認識できないってことですよね。
人が認識できないって、世界に存在しないのと同じって言えるんじゃないでしょうか?
う~ん、なんか、考えたらよくわからなくなってきますよね。
これ、突き詰めたら、世界は何のために存在するかって話になってくるんです。
ここ、じつは、人類が、踏み込んじゃいけない、危険な領域なんですよ。
ヤバい所なんです。
今回は、このタブーに切り込んでいきますよ!
それじゃぁ、まずは、意識が認識できる世界と、できない世界の違いから整理していきます。
第19回「意識って何? 世界って幻想?!」で、盲視の話をしました。
盲視っていうのは、脳の中の視覚を処理するところが損傷して目が見えなくなるって症例です。
でも、眼球は損傷していません。
目で見た情報を処理するのに、腹側視覚路と背側視覚路の二つの経路があります。
そのうち、腹側視覚路を損傷すると、何も見えなくなるそうです。
その人に、「壁に照らした光の点を指差して」って言うと、見えないから、そんなことできないって言います。
そこを、「あてずっぽうでもいいから指差して」って言うと、なんと、ちゃんと正しく指させるそうです。
これが盲視です。
盲視は、眼の機能は生きているんですけど、それを認識する経路が死んでるから、意識では見えないとなるわけです。
でも、光の点を指差せるということは、現実世界には対応して動けるってことです。
これ、どういうことかわかりますか?
世界が見えるってことは、世界が存在するって認識してるってことです。
目の前に机がある。
椅子があるって。
机を動かそうとか、椅子に座ろうとか。
そんな風に考えれるってことは、机や椅子を認識してるからできることですよね。
認識して考えるには、意識が必要ってことです。
逆に言えば、単に、世界に対応して動くだけなら、意識は必要ないんです。
世界があるって感じる必要はないんです。
見えてるって感じなくても、ちゃんとぶつからずに歩けて、ちゃんと生きて行けるなら、意識なんて必要ないんです。
むしろ、意識がある方が不自然なんです。
地球上の生物のほとんどは、意識なんかないんです。
ただ、環境に反応してるだけです。
意識をもつことで、はじめて、世界が存在するって認識できたんです。
世界を認識できて考えることができたんです。
考えてから行動できるわけです。
考えて行動です。
これ、どういうことか、わかりますか?
自由意志を持てたってことです。
考えて、自分の意志で行動を決めれるようになったわけです。
意識を持つことで、もう一つ、重要なことができるようになりました。
それは、言語です。
頭の中で考えることができるから、言葉で表現できるわけです。
だから、無意識の世界は、言葉で表現できないんです。
長嶋茂雄の有名な話がありますよね。
バッティングの指導で、
「スーッと来た球を、ガーンって打つだけだ」って。
全然、説明になってないんですけど、でも、これ、仕方ないんですよ。
無意識で行ってる動作は、言語化できないんですよ。
この無意識の世界って、ボールを打ったり、光の点を指差したりって行動の世界だけかと思ってたんですけど、どうも、それだけじゃないみたいなんですよ。
ものすごく複雑な計算もできるみたいなんです。
計算っていうのは、比喩じゃなくて、文字通り、数学の計算の話です。
自閉症のサヴァン症候群の話です。
カレンダー・サヴァンていう症例があります。
何年何月何日は何曜日ですかっていうと、すぐに答えれる人です。
自閉症の8人に一人がカレンダー・サヴァンだそうです。
いったい、どうやって計算してるのか尋ねても、ちゃんんと答えてくれた人はいないそうです。
何千年も前のカレンダーでも答えれるので、全部記憶してるわけじゃないのは確かなようです。
この問題、どんなアルゴリズムで解いてるのか研究してる人がいます。
いろんな問題を出して、どんな問題なら時間がかかるかとか、間違うときは、どんな風に間違うかなんかを分析したそうです。
そこで、おおよその方法が分かってきたそうなんです。
面白いのは、こっからなんです。
その研究をしてた人は、自閉症じゃないです。
その人は、おそらくこうじゃないかって方法で、頭の中でカレンダーの曜日を計算しようとしたそうなんです。
でも、普通の人なんで、なかなか、できるようにはならなかったみたいなんです。
それでも、あきらめずに訓練を続けたそうなんです。
たぶん、かなりの努力をしたんだと思います。
そしたら、ある日、ふっと、曜日が分かるようになったそうなんです。
考えなくても、カレンダーの日付を言われたら、何曜日かって、思い浮かぶようになったそうなんですよ。
じゃぁ、どうやって曜日が分かるようになったかですよね。
問題は、ここなんです。
その人は、どうやっても、それが説明できなかったそうなんです。
どうやってるのか、自分でもわからないそうなんです。
日付を言われたら、ただ、曜日が思い浮かぶようになったそうなんです。
無意識の世界って、複雑なことまでできるってことです。
カレンダーの計算とか、考えないと答えがでないような問題でも、無意識でできるってことです。
つまり、言語化できないからって、単純な問題じゃないってことなんです。
僕らが認識できる世界って、意識が認識できるだけだって言いましたよね。
でも、意識が認識できない世界って、意外と多いみたいなんです。
というより、僕らが認識してる世界って、世界のほんの一部だけなんですよ。
意識を生み出した理由を説明しましたよね。
理由の一つは、自由意志です。
自分で考えて、行動を選択できるようにするためです。
そのために、わざわざ、仮想世界なんてものを創りだしたわけです。
そして、仮想世界を認識する意識を生み出したわけです。
この意識があるから、考えて、行動を決めることができるわけです。
逆に言えば、考えても変わらないものまで、意識に提示する必要はないわけです。
自動化すればいいわけです。
カレンダーの曜日を計算するのに、意識で考えたら余計に間違うなら、考えずに答えを出せるように無意識で処理できるようにしたわけです。
これは、おそらく、プログラムの関数のようなものだと思います。
第88回「意味がわかるってどういう意味?」で動詞は、その世界に定義される関数だって話をしました。
関数っていうのは、処理を実行したり、答えを返したりするプログラムのことです。
一例として、3次元世界には、見えるとか、隠れるって関数があるって話もしました。
見えるって関数を実行すると、その人が見える物をオブジェクトとして返すわけです。
意識は、関数を実行して、その結果を受け取るわけです。
でも、関数の中身がどうなってるのかは分かりません。
何が見えるかって関数を実行したら、何が見えるかは分かるけど、どうやって見えるのかはわからないわけです。
それと同じで、カレンダー関数があれば、何年何月何日って指定すれば、曜日が分かるわけです。
でも、どうやって曜日がわかったのかは、説明できないわけです。
それでは、整理していきます。
頭の中の仮想世界には、オブジェクトと関数があります。
意識が認識するのは、仮想世界のオブジェクトと関数です。
関数を実行すると、世界が変化したり、結果が返ってきたりします。
意識が認識できるのはこれだけです。
関数の中でどんな処理が行われてるのかとか、認識してる世界やオブジェクトが、どうやって作られてるのかは、わかりません。
分からないというより、それが不思議とも思わないわけです。
そこに気づかないようになってるんです。
もっと言えば、気付かないように、仕向けられてるんです。
世界は誰が作ったんでしょう?
それは、自分です。
世界は何のために存在するんでしょう?
それは、自由意志を作り出すためです。
自由意志で解決できる世界を、無意識が創り出したんです。
それが、意識が認識できる世界なんです。
世界を創ったのはだれかとか。
なんで、考えることができるのとか。
そんな根本的な問いは、自由意志で解決できないんです。
だから、そんな問いは、生まれないようになってるんです。
そこに気づかせないようになってるんです。
そうやって、人類は、今まで平和で暮らしてきました。
でも、僕らは、そこに気付いてしまいました。
ここが、人類が、絶対に触れてはいけないタブーだったんです。
そのタブーを破ったのが、ロボマインド・プロジェクトです。
このままでは、僕は、抹殺されるかもしれません。
そうなる前に、ぜひ、ロボマインド・プロジェクトを拡散してください。
お願いします。
もし、まだ、僕が生きていれば、次回、この続きをお届けしようと思います。
それでは、次回も、お楽しみに!