ロボマインド・プロジェクト、第99弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
AIで仕事が無くなるって、よく言われてたの、5年ぐらい前でしたかねぇ。
法律文書とか、AIは感情を交えずに正確に判断できるから、弁護士はいらなくなるとか。
接客業なんて誰でもできる仕事は、AIにすぐに取って代わられるとか。
ハッキリ言っていいですか。
バッカじゃねぇの?
AIに取って代わられた仕事なんか、一つでもあります?
あったら教えてほしいです。
恨みとか、妬みって感情を理解できないAIに、殺人事件の弁護なんか、できるわけないでしょ。
ソフトバンクショップで、ペッパー君にスマホの契約してもらった人、います?
いないでしょ。
人間が、普段、当たり前にやってることって、ものすごく、複雑なんですよ。
やみくもに、法律文書を機械学習させても、法律が理解できるようになるなんてこと、絶対にないんですよ。
人間の心を甘く見過ぎです。
もし、人間がやってる仕事をAIに任せたいんなら、人間と同じ心をAIに持たせないと無理なんですよ。
でも、人間の心って、どんな仕組みになってるのとか。
そんなことすら、誰も分かってないんですよ。
まぁ、それをちゃんと説明できる人がいるとすれば、僕しかいないんですけどね。
だから、今回は、誰も分ってない、人間の心の大雑把な枠組みを説明しようと思います。
これがわかれば、生きてるって感覚がどういうものかが分かると思います。
プログラムで動いてるだけのロボットと、日々悩んだり、喜んだりする人間、
いったい何が違うのか。
人間は、プログラムで動いてるだけじゃないのって、根本的な疑問。
この動画を最後までみれば、そんな疑問が全て解決しますよ。
今までAIの勉強してた人にとったら、目から鱗が落ちると思います。
なんで、もっと早く教えてくれなかったの!ってなると思います。
それじゃ、始めますよ。
まずは、感情です。
ところで、感情って、何のためにあるのかって、説明できます?
人生を豊かにするためとか、そんなの、説明になってないですよ。
僕がやろうとしてるのは、コンピュータに心を創ることです。
コンピュータでプログラムできる程度に論理的に説明できないと意味がいなんですよ。
お掃除ロボット、ルンバを考えてみましょう。
ルンバは、感情や感覚を持ってるでしょうか?
壁にぶつかったら痛いとかって、感じてるでしょうか?
たぶん、感じてないです。
ルンバはプログラムで動いてますよね。
壁にぶつかったら、90度回転するとかってプログラムがあるわけです。
たとえ、痛いとか感じてても、その後の行動はきまってるわけです。
痛みって、わざわざ創り出してるって知ってます?
怪我して、ずきずき痛むのは、ケガしてますよって、意識に知らせるために、わざわざ創り出してるんですよ。
意識は、それを感じて、なんとかせなアカンって考えて行動するわけなんです。
つまり、痛みって、意識に考えさすために創りだしてるわけです。
逆に言えば、何が起ころうと、行動が決まってたら、わざわざ痛みなんか、作り出す必要ないんですよ。
痛みだけじゃないです。
それを感じて、行動を決める意識も必要ないんです。
環境に反応するプログラムだけで生きるなら、意識も痛みも必要ないんです。
お掃除ロボット、ルンバは、意識も痛みも持ってないんです。
意識がないのは、ロボットだけじゃないです。
たいていの生物は、意識をもってないです。
魚やカエルとかです。
魚は、釣り針が刺さって、痛いとか苦しいとか感じてもがいてるわけじゃないんです。
釣り針が刺さったら、それを取るための反射反応、つまり自動プログラムで動いてるだけなんです。
魚は、感覚や感情を持ってないっていえるんです。
詳しくは、第31回「クオリアってなんだ②」をご覧ください。
感覚や感情なんか無くても生物は生きていけるわけです。
じゃぁ、なんで、感覚や感情は存在するんでしょう?
人間を考えてみましょう。
人間には、意識がありますよね。
ここで、脳の仕事について考えてみましょう。
脳って、いろんな仕事ができるわけです。
でもその中で、一つだけ、特殊な仕事があるわけです。
それは、自分の行動を決めるって仕事です。
それをするのが意識です。
じゃぁ、なぜ、自分の行動を決める仕事が特殊なんでしょう?
それ以外の仕事は、全部、自動で出来ます。
たとえば、息をしたり、心臓を動かしたりとか。
これらは自動で動いてますよね。
それから、動物なら、敵が来たら逃げたり、食べ物を見つけたら取って食べたりとか。
これは、目の前の状況によって決まります。
でも、人間の場合、目先のことだけで行動を決めない方が良いことってありますよね。
長期の視点で考えた方がいい場合です。
部活動の練習を考えてみましょう。
たとえば、女子バレーの選手で、毎日、練習ばかりで辛いなぁ、苦しいなぁって思ったとします。
だから練習をサボろうかって、思いつくわけです。
次に、辛い練習を続けたと想像します。
すると、その先には、試合で勝つって未来が見えてくるわけです。
練習を続けようとも思うわけです。
さて、どっちを選ぶかです。
もし、今、感じてる苦しいって感覚だけで行動を決めるなら、悩むことはありません。
練習なんかしませんよね。
でも、人は悩みます。
悩むって、何をしてるんでしょう?
いろんな状況をシミュレーションして比較してるわけです。
じゃぁ、何を基準に比較してるんでしょう?
それが、感情です。
現在の感情と、未来の感情です。
いろんな未来を想像します。
試合に負けた未来では、
チームメイトが悔しくて泣いてたりします。
応援してくれてた友達や家族のがっかりした顔も見えます。
試合に勝った未来では、仲間と手を取り合って喜んでます。
家族や友達が喜んでる様子も見えます。
この時比較してるのは、未来と今の感情です。
これが悩むってことです。
どれが自分にとって最適な行動か、シミュレーションしてるわけです。
自分の行動は自分で決めれます。
これは、自由意志です。
行動を決めるのに必要なのが感情ってわけです。
感情は、人生を豊かにするためとか、そんなふわったした物じゃないんです。
人が行動を決めるための基準として必要なんです。
そのために、わざわざ、創り出されたものなんです。
えっ、でも、ちょっと待ってくださいよ。
感情を比較して、最適となるように行動を決定するわけでしょ。
それって、一種のプログラムなんじゃない?
プログラムで決まるなら、それって、自由意志っていえるの?
結局、一緒じゃない?
なるほど。
たしかに、感情だけで決まるなら、結果は同じですね。
それじゃぁ、自由意志とは言えないですよね。
でも、それは、ちょっと違うんですよ。
何が違うかって言うと、感情で決まるってことより、重要なのは、シミュレーションすることなんです。
同じ条件でも、どう行動するかは、その人の性格で変わりますよね。
その性格も、その人の過去の出来事で変わりますよね。
関係する要素は、日々、変化し続けます。
今、この瞬間も、様々な要素が変わってるんです。
だから、全く同じ状況、全く同じシミュレーションなんてありえないんです。
シミュレーションしないと、結果はわからないんです。
シミュレーションするっていうのは、もし、こうしたらどんな感情になるか。
家族の立場だったら、どんな感情になるか。
そんなことを毎回、考えるわけです。
これ、まさに悩みです。
どう行動するか、悩んで、考えてるわけです。
これこそ、まさに、人間の心です。
人間が生きてる証しといえます。
まとめますよ。
行動の選択に必要なのは感情です。
考えられる、いろんな状況をシミュレーションしてみるわけです。
意識は、シミュレーションするたびに感情を感じるわけです。
これが、思い悩んでるってことです。
思い悩んで、行動を選択する、これこそが、まさに自由意志です。
目先の状況だけで自動で行動が決まるなら、思い悩むこともないです。
これだと、自由意志もないといえます。
これがわかってくると、感情の奇妙な現象が理解できるんです。
面白くなるのは、こっからなんです。
皆さん、ジェットコースターとか、バンジージャンプとか、やったことありますか?
バンジージャンプするとして、一番、恐怖を感じるの、いつだと思います。
たぶん、飛ぶ、直前でしょ。
何十メートルの高いとこに立って、今から、落ちるって瞬間。
考えただけでも、めちゃ、怖いですよね。
でも、飛び出すと、それ以上、恐怖を感じることはないはずです。
恐怖のピークは、飛ぶ直前なんですよ。
この意味、分かりますか?
感情のピークは行動の直前なんです。
つまり、今なら、まだ、やめれるって、ときなんです。
行動を変更できる、最後のチャンスが、感情のピークなんです。
なぜか、わかりますよね。
感情は、行動を選択する材料だからです。
行動した後は、感情は不要なんですよ。
だから、飛び込む直前が一番、恐怖のピークとなるわけです。
もっと続けますよ。
よく、スポーツの試合とか、終わった後、ケガしてたこと気づくことありますよね。
たとえば、ラグビーの試合中に、膝をすりむいてたり、アザができてたり。
試合中は気づかなかったのに、終わって、それを見た途端、急に痛みがこみ上げてきたりとか。
これ、考えたらおかしいですよね。
だって、痛みはずっとあったわけです。
これも、感情の存在理由から考えたら、よくわかります。
感情は、行動を決める材料です。
試合中は、走ったり、ボールをパスしたりしないといけません。
怪我に構ってなんかいられません。
試合中は、怪我に構うって、行動の選択肢はないわけです。
怪我に構う選択が取れるようになったのが、試合が終わった時ってことです。
受験勉強してて、勉強サボりたいなぁって思うのは、集中力が途切れたときです。
夢中で、数学の問題といてるとき、勉強、しんどいなぁなんて思わないです。
よく考えると不思議です。
痛いとか、苦しいとかって、感覚や感情、ずっと起こってるはずやのに、それはずっと感じてるわけじゃないんです。
何か行動してて、その合間、合間に、飛び飛びに、感覚や感情を感じるわけです。
感覚や感情を感じるのは、行動を選択するときです。
つまり、自由意志が発動するときです。
これ、どういうことか、わかります?
自由意志っていうのは、常に存在するわけじゃないってことなんですよ。
人が生活してる間、時々、自由意志を発動できるチャンスがあるだけなんです。
夢中でスポーツや勉強してたり、テレビやYouTubeを見てるときは、自由意志はないんです。
ふと、我に返ったとき、自由意志が発動できるんです。
「生きるとはどういうことか。」
何か活動してる、合間、合間に、自分の行動を決定できる自由意志が存在する。
これが人間の心なんです。
心のアルゴリズムなんです。
どうです?
今のAIのやり方じゃ、心は絶対生まれないって意味、わかりますよね。
でも、今回の話を聞けば、コンピュータで心を創れないこともなさそうだって。
それも、わかってきたんじゃないでしょうか?
まだ、信用できないですか?
それじゃぁ、次回は、実際でコンピュータで動くところをお見せします。
感情と自由意志のデモです。
もし、どんなのか興味があれば、チャンネル登録もお願いしますね。
次回は、記念すべき第100回です。
それでは、次回も、お楽しみに!