第589回 トロッコ問題哲学 vs. 脳科学


ロボマインド・プロジェクト、第589弾!
こんにちは、ロボマインド田方です。

トロッコ問題ってありますよね。
暴走したトロッコが5人の作業員がいる線路に突っ込もうとしています。
あなたの前にはポイントがあって、別の一人の作業員がいる線路に切り替えることができます。
何もしないと5人が死にます。
線路を切り替えると5人は助かりますけど、一人が死にます。
さて、あなたならどうしますか?
これがトロッコ問題です。
倫理学や道徳哲学のジレンマの思考実験です。
この問題、多くの人は、線路を切り替えると答えます。
まぁ、悩みますけど、一人より5人を救った方がいいですからねぇ。

トロッコ問題、そのあと、いろんなバージョンが作られました。
その一つが、歩道橋バージョンです。
歩道橋の上にあなたと太った男がいます。
歩道橋の下の線路に5人の作業員がいます。
トロッコが突っ込んできて、このままなら5人が死にます。
でも、あなたが太った男を突き落としたらトロッコを止めることができますけど、太った男は死にます。
さて、あなたならどうしますか?
一人と5人のどっちを助けるかって条件はさっきと同じです。
でも、今回の場合、突き落とさないと答えた人の方が多いそうです。
なぜなんでしょう?

哲学者の回答はこうです。
ポイントの切り替えは、5人死ぬという悪い状況から、一人死ぬという、それほど悪くない状況への変更です。
一方、太った男を突き落とすのは、その人を目的のための手段、または道具として利用しています。
人を道具扱いすることに心理的抵抗が大きいから突き落とさないわけです。
なるほどと思わないではないです。

ただ、哲学者の答えには科学的な根拠はあまりありません。
そこで、この問題に脳神経学からのアプローチもあります。
つまり、脳の仕組みから解明するわけです。
そして、僕は、当然、脳科学の立場を取ります。
これが今回のテーマです。
トロッコ問題
哲学 vs. 脳科学
それでは、始めましょう!

今回も、デイヴィッド・イーグルマンの『あなたの知らない脳』から取り上げます。

さて、トロッコ問題ですけど、一人を犠牲にするという目的は同じなのに、状況によって異なる行動をとります。
行動を決定するのは意識です。
ここで、脳内では二つの異なる処理が行われると考えると考えます。
意識は、その処理結果を参考に行動を決定するんですけど、状況によって処理結果の強さがかわるわけです。
じゃぁ、二つの異なる処理ってなんでしょう。
それは、一言でいえば、感情と理性です。

じゃぁ、感情と理性といいますけど、脳内で具体的にどんなふうに分かれるんでしょう。
まず、これを見てください。

いつも見せてる視覚処理の図です。
目の網膜からの視覚情報は、まず、後頭葉の一次視覚野に送られて、二つにわかれます。
一つは、頭頂葉に向かう背側視覚路で、もう一つは側頭葉に向かう腹側視覚路です。
背側視覚路は、空間的な位置や、動きを分析するので「どこの経路」と呼ばれています。
腹側視覚路は、見たものが「何」かを分析するので「何の経路」と呼ばれています。

これだけじゃ、どこが感情でどこが理性かわからないですよね。
今説明したのは視覚処理として説明しましたけど、視覚というのは一例と考えてください。
この二つの処理を、世界観の違いと考えるんです。
これでも分からないと思うので、もう少し丁寧に説明します。

僕らは、つい、意識とは何かとか、意識を中心に考えてしまいます。
でも、最近わかってきたのは、意識は大きな流れのふろく的なものとして考えた方がすっきりするってことです。
大きな流れというのが、「何の経路」です。
ただ、「何の経路」は後から生まれて、最初にあったのは「どこの経路」です。
ここまでは解剖学的にわかっています。

この本には、僕が今まで語ってきたことと同じ例があちこちに出てきて驚いているんですよ。
僕は、いつもカエルを例に出しますけど、イーグルマンもカエルを使います。
カエルには運動を感知する二つのメカニズムがあるといいます。
一つは、小さくて素早く動く物体を感知してさっと舌を伸ばすシステム。
もう一つは、ぬっとあらわれる大きな物体を感知して、足をジャンプさせるシステム。
前者が、ハエを捕まえるシステムで、後者が、鳥とか天敵から逃げるシステムです。
そして、どちらのシステムも意識に上らないといいます。

僕は、カエルは「どこの経路」しかなくて、反射で動くだけだっていつもいっていますけど、それと同じことを言っていますよね。
それから、僕は、「どこの経路」には意識はないとも言っていますけど、それも同じです。

さて、さっき、「どこの経路」と「何の経路」は世界観の違いといいました。
「どこの経路」というのは、空間の位置とか、自分の動きを決めるときに使う経路です。
空間とか位置というのは、今、自分がいる現実世界です。
ハエも鳥も、すべて、この瞬間の現実世界にいて、現実世界を共通に認識しています。
カエルもハエも鳥も、現実世界は、今、この瞬間だけです。
一瞬でも遅れると、カエルはハエを取り逃がしてしまうし、鳥につかまってしまいます。
現実世界とは、今、この瞬間だけ存在するたった一つの世界といえます。
多くの生物は、この世界観だけで生きています。

進化によって大脳が発達して、「何の経路」が生まれました。
「何の経路」は色や形を分析して、最終的に「何」かを分析します。
たとえば、目の前にあるのは、赤くて、丸い「リンゴ」だと分析します。
分析するというより、色や形を使ってリンゴを作り出すわけです。
作り出したら、必然的に、それを認識する処理が必要ですよね。
それが「意識」です。

「どこの経路」だと、今、この瞬間の現実世界を認識したら、すぐに筋肉を動かして動いていましたよね。
現実世界は、今、この一瞬しか存在しないので、すぐに行動しないと現実世界に対処できません。

一方、「何の経路」は分析して、頭の中に作り出します。
もっと言えば、頭の中に世界を作り出して、それを意識が認識します。
「どこの経路」の目的が、世界への対処なのに対して、「何の経路」の目的は、世界の認識です。
ここに、二つの処理経路に決定的な違いが生まれました。
それは、「どこの経路」が対象とするのは現実世界なのに対して、「何の経路」は、頭の中に構築した世界を対象とします。
現実世界は、頭の外に存在して、一つしか存在しません。
一方、「何の経路」では、それぞれが頭の中に世界を構築するので、同じとは限りません。
たとえ同じ現実世界を見ていても、一人は赤くて丸いリンゴと認識して、別の人は、赤くて丸いボールと認識しているかもしれません。

さらに、「何の経路」は、頭の中に構築するので、目の前の現実世界だけに限りません。
過去に見た光景を思い出したり、将来、起こるかもしれない世界を想像することもできます。
つまり、無限に作ることができます。
そして、この頭の中の世界を認識するために作られたのが意識です。
これが、意識のない生物と、意識のある生物の世界観の違いです。

とはいえ、どちらも生物には違いがありません。
生物としての基本的な本能は持っています。
個体保存の本能とか種の保存の本能とかです。

動物は、縄張りや雌をめぐって戦いますよね。
たとえば、カニはハサミで戦います。
相手が自分より強くて勝てないと判断したら逃げます。
「まだいける」とか「もうだめだ」って判断して戦うか逃げるか決めます。
実際に戦えば、どっちが強いかわかります。

さて、人間の場合です。
人間も他人と戦うこともありますけど、自分の欲求と戦うというのもありますよね。
僕がよく例に挙げるのが、夜中にラーメンを食べようと思ったけど、今食べると太るからやめようと思うとかです。
イーグルマンも同じような例をあげます。
パーティーで、チョコレートケーキを勧められたとき、食べたいけど、太るからやめとこかなと悩むそうです。
こういったとこに、その人の生き方が現れますよね。
僕は、チョコレートケーキを勧められるようなパーティーなんか出たことがないです。
ほっといてくれ。

まぁ、それはいいとして、自分との葛藤って、今食べたいって欲求と、体重が増えた将来の自分との比較です。
将来の自分がいるのは、今の現実世界じゃないです。
現実世界なら、直接戦うとか比較ができますけど、将来の自分がいるのは別の世界なので、比較ができません。

頭の中の世界はデータです。
データなら、他のデータを追加したり、加工ができます。
そのデータを感じるのは意識です。
今の欲求のデータというのは、お腹がすいたとか、ラーメン食べたいって感覚や感情ですよね。
将来の自分が感じることなら、体重が増えて悲しいって感情です。
ここにきて、感情がある意味がわかります。
それは、別の世界と比較するためにあるといえます。
データに変換することで、別の世界であっても比較することができるようになったわけです。

「何の経路」がない生物は、意識も感情もありません。
でも、たとえば天敵を見て、怖いってデータは生み出されます。
感情というのは、そのデータを受け取った意識が感じるものです。
意識がない生物の場合、怖いのデータが直接筋肉を動かします。
意識がある僕らは、それを外から見て、怖くて逃げたと思います。
でも、それは、自分が意識や感情があるから、ほかの動物も意識や感情があると、つい、思ってしまうだけです。
意識がないと、怖いと感じることすらできません。

怖いとか、お腹がすいたとかって感情や感覚は、体が生み出すものです。
それに対して、将来の自分は頭の中にしかいません。
体や現実から切り離されたデータです。
データだけで判断するのが理性です。
感情と理性の脳内の位置づけが見えてきましたよね。

さて、次は、感情と理性、どちらの方が強く感じるかです。
イーグルマンは一つの心理実験を紹介します。
今すぐ100ドルをもらえるのと、一週間後に110ドルもらえるのと、どちらがいいか聞きました。
すると、ほとんどの人は今すぐの100ドルを選びます。
次に、52週間後に100ドルもらえるのと、53週間後に110ドルもらえるのとどちらがいいかと聞くと、ほとんどの人は53週間後の110ドルを選ぶそうです。
どちらも1週間の差で10ドル違いますけど、今すぐなら10ドル低くてももらうというのは、その分、今すぐを高く評価してるわけです。
今すぐの世界は現実世界です。
つまり、体で直接感じる感情や感覚です。
将来の世界は頭の中に作られた世界です。
これは理性です。
つまり、理性より感情の方が強いというわけです。

僕はイーグルマンと少し違う例を挙げます。
第146回「すべらないAI」で笑いについて考察しました。
じつは、ロボマインド・プロジェクトの目的の一つに笑いを生み出すAIがあります。
146回で語ったのは、笑いのアルゴリズムです。

笑いって、概念的に高いとこから低いとこに落ちたとき起こるでしょ。
落差が大きい方が面白いわけです。
たとえば、バナナの皮で滑って転ぶって出来事でも、小学生の子供と、校長先生じゃ、校長先生の方が面白いじゃないですか。
なんでかっていうと、落差が大きいからです。

ダジャレでも、エピソードでも、笑いにするには、オチでいかに落とすかです。
オチに持ってくる言葉をどれだけ低くするかが重要です。
じゃぁ、低い言葉ってなんでしょう。

僕は、言葉の高い低いは、抽象度で決まると定義しました。
たとえば、「民主主義」なんて言葉、オチに使いにくいですよね。
それは、抽象度が高いからです。
それに対して、たとえば、「うどん」ならオチに使えそうです。
なぜなら、抽象度が低くて、具体的だからです。

それじゃぁ、実際に、ツッコんでみましょ。
「それ、民主主義やないか!」
これじゃ、笑いが起こらないですよね。

「それ、うどんやないか!」
これなら笑いになりそうでしょ。

「それ、焼うどんやないか!」
こっちの方がもっといいですよね。
なんでかっていうと、より具体的だからです。

じゃぁ、もっと低い言葉って定義できないでしょうか?
あります。
それは、身体との距離です。

たとえば「机」といっても、何も面白くないでしょ。
勉強机と具体性を上げても変わりません。

じゃぁ、「パンツ」はどうでしょう。
ちょっと、面白そうでしょ。
なんでかっていうと、身体との距離が近いからです。

じゃあ、これはどうでしょう。
「うんこ」
より面白くなってきましたよね。
次は、組み合わせてみましょ。
「うんこのついたパンツ」

これを、ツッコみでつかってみましょ。
「それ、うんこのついたパンツやないか」
いや、かなり面白くなってきましたよね。

まぁ、このぐらいにしときますけど、とにかく、体に近い言葉が最強だってことがわかりましたよね。
下ネタが面白いのも、これで説明がつきます。

話を戻します。
感情と理性で、どちらが強いかって話です。
感情というのは、この自分の体で感じることです。
笑いで一番強力なのは、体に近いものです。
体から離れると面白くないです。
体から離れたものは、頭で考えるだけです。
つまり、理性です。
体で感じて、感情にダイレクトに作用するものが一番心に響くわけです。
体から離れて、頭だけで考えるものは心に響きません。

さて、今回のテーマはトロッコ問題です。
ポイントを切り替えるのと、歩道橋から人を突き落とす場合、意味的には同じです。
でも、ポイントは切り替えるのに、人は落としません。
その答えが見えてきましたよね。

それは、感情と理性では、感情の方が心にダイレクトに響くからです。
別の言い方をすれば、身体に近い、または身体に直接触れるものが強く心に作用します。

歩道橋から人を突き落とすには、自分の手がその人に直接触れて、力を入れて落とすわけです。
自分の手で他人を殺すわけです。
理性で正しいとわかっていても、心が耐えられません。
体が猛烈に拒否します。

それに対して、ポイントの切り替えは、自分の手は相手に触れないので、それほど心は痛みません。
だから、理性で正しい行動がとれます。
これが、トロッコ問題で脳内で起こっていた現象です。



はい、今回はここまでです。
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それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!