第605回 具体と抽象は、脳内処理が全く違っていた!


ロボマインド・プロジェクト、第605弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

2003年、イスラエルで、数千人の赤ちゃんが突然、未知の病気になりました。
嘔吐、視覚障害、なかには昏睡状態になる子もいて、二人が亡くなりました。
徹底的な調査の結果、原因は粉ミルクにあることがわかりました。
大手メーカーが粉ミルクに含めるべきビタミンB1をこっそり中止したことが原因でした。
理由はコスト削減です。

ビタミンB1は、脳にとって必須の栄養素です。
さらに赤ちゃんはビタミンB1を蓄積できないので、ミルクから摂取するしかありません。
それが断たれたわけです。

急いでビタミンB1を投与したところ、数日で回復し始めました。
めでたしめでたしだったんですけど、この問題、これで終わりませんでした。
重大な症状がでたのは数年後でした。

それは、言語障害です。
たとえば、写真を見て、すぐにヒツジと答えることができないとかです。
特に顕著だったのが文法理解でした。
「誰が誰に何を行ったか」といった質問になかなか答えられなかったりしたそうです。

前回紹介しましたけど、生後二か月の赤ちゃんでも、言葉を聞くと、大人と同じ脳の部位が活性化します。

赤ちゃんは、生まれた直後から、言葉を聞くと脳内で言語処理回路が形成されはじめます。
この回路がある程度完成した1~2歳ごろになるとしゃべり始めます。
イスラエルで起こった事件は、この時期に必須ビタミンが不足することで、言語処理回路の一部が形成されなかったわけです。

これは、大人になると外国語の習得が難しくなるのと同じです。
日本人はRとLの発音を区別できません。
これは、日本語はRとLを区別しなくて、幼少期に日本語だけの環境で育ったからです。
その時期を過ぎると、後から獲得するのは難しいということです。

ただ、イスラエルの事件、じつは、すべての言語機能に障害がでたわけじゃないんです。
障害が出たのは、ものの名前や文法といった機能です。
ところが、概念理解は問題ありませんでした。
たとえばライオンと羊の写真を見せて、「毛糸玉は、どっちに関係しますか?」って質問には、誰もが羊と答えました。
ライオンと間違う子はいませんでした。

毛糸玉は羊に関連するというのは、ヒツジと毛糸玉が同じグループに属すると分かっているわけですよね。
ライオンのグループに毛糸玉は属しません。

グループ分けは一種の概念です。
リンゴやバナナを果物概念にグループ分けするとかです。
概念分けは、一種の情報処理とも言えます。

果物というのは抽象です。
それに対して、リンゴとかバナナ、ヒツジ、ライオンは具体です。
前々回、第603回で抽象概念は学習できないと言いました。
学習できないということは、生まれつきです。
つまり、遺伝です。
ということは、具体は生まれた後、学習によって獲得して、抽象概念は、生まれる前から持っているということです。

今回は、ここをさらに掘り下げて考えます。
これが、今回のテーマです。
具体と抽象は、脳内処理が全く違っていた!
それでは、始めましょう!

今回も、スタニスラス・ドゥアンヌの『脳はこうして学ぶ』から取り上げます。

さて、今、やろうとしているのは脳内の情報処理の整理です。
情報処理の一種に記憶があります。
記憶に関して、脳科学で必ずでてくるのがH.M氏です。

H.M氏は、海馬を切除してエピソード記憶ができなくなりました。
エピソード記憶というのは長期記憶の一種で、「昨日、どこで、何をした」といった思い出のことです。
長期記憶には、ほかに意味記憶とか手続き記憶があります。
意味記憶というのは、リンゴは赤いとか、リンゴは甘いといった辞書に載るタイプの記憶です。
手続き記憶というのは、自転車の乗り方といった体で覚えるタイプの記憶です。

H.M氏は、エピソード記憶ができなくなったので、昨日、何したかを覚えることができません。
でも、手続き記憶はできます。
心理学の手続き記憶のテストに鏡追跡課題というものがあります。
それは、鏡を見ながらペンで形をなぞる課題です。

たとえば、二重線で描かれた星形の図形があって、その隙間をなぞるんです。
それも、手元は見えなくなっていて、鏡だけみてなぞります。
かなり難しいので、最初は、誰でもこんな感じになります。

でも、何度も訓練すれば、スーッときれいになぞれるようになります。
これが手続き記憶です。

H.M氏も、何度も訓練するうちにうまくできるようになりました。
ただ、本人は、そんな訓練したことを覚えていません。
だから、毎回、「そんなことできませんよ」って言うんですけど、やってみると、手が勝手に動くんです。
それで、毎回、「わっ、なんでできるんやろ」って本人が一番びっくりするそうです。

さて、エピソード記憶というのは、進化した人間の脳が持つ情報処理です。
手続き記憶は、動物でも持っている情報処理です。

たとえば、犬が動物病院で痛い注射を打たれたとします。
でも、家に帰って、「今日の注射、痛かったよなぁ」と思い出すことはありません。
でも、次、動物病院に連れて行くと、入るのを嫌がります。
これは、動物病院を見て、痛い思いをしたことを思い出したからです。
逆に言うと、犬は、病院を見ないと思い出せません。

実際の病院というのは具体ですよね。
僕らは、実際の病院を見なくても、病院でどんなことがあったか思い出すことができます。
つまり、人間ができる情報処理というのは、実際に見なくても思い出す機能です。
ここから、現実世界に直結した情報処理と、現実世界と切り離された情報処理に分けることができそうです。

そして、リンゴとか病院は、現実世界にあります。
ここから、具体とは、「現実世界から始まる情報処理のきっかけとなるもの」と定義できそうです。
その逆が抽象です。
ということは、エピソード記憶は抽象といえそうです。

次は、動物病院を見た犬の脳内で、どのような情報処理が起こるのか見ていきましょう。
まず、現実世界に動物病院があります。
犬はそれを見て認識します。
脳内では様々なニューラルネットワークが結びついていて記憶を形成しています。
これは一種のコード化です。
または意味としてのまとまりです。

動物病院というニューラルネットワークには、病院の入り口とか、匂いとか様々に結びついています。
それらのニューロンが、動物病院を見たとき次々に発火するわけです。
そのうちの一つは、「痛い」とか「怖い」といった感情と結びついています。
恐怖の感情は偏桃体で生み出されて、対象から逃げようと体を動かそうとします。
だから、動物病院に入るのを嫌がるわけです。

それでは、具体を定義してみます。
動物病院を認識したとき関連するニューラルネットワークが発火しましたよね。
つまり、具体とは、現実世界にあるものに結びついていて、関連する情報をまとめる情報処理と言えます。
または、そのような情報処理機能が脳内にあるわけです。

現実世界にあるものが脳内のニューラルネットワークに結びつきます。
ただ、このとき、無秩序に結びつくわけじゃありません。
何らかの土台というか、構造の上に構築されます。

前回、ネズミの脳内に場所を記憶する六角形のグリッドパターンがあるという話をしました。

部屋を自由に歩かせると、脳内の嗅内皮質に六角形のマップが形成されます。
そして、対応する位置を通過するとき、そのニューロンが発火します。
これは、現実世界の具体的な場所に結びついたニューロンといえます。
これが場所のコード化です。
または具体です。

この六角形のグリッドパターンは、脳内のニューラルネットワークで自己増殖して作られます。
自己増殖パターンは自然界で多く見られる現象です。
これは動物の柄のチューリングパターンです。

これは石英の結晶です。

自然界には、こんな風に自己増殖でいろんなパターンが形成されます。
自己増殖は、それ自体が成長するとき、外部環境とのバランスで様々なパターンに変化します。
それが、赤ちゃんの脳でも起こっています。

脳には何百億ものニューロンがあって、それらが軸索を伸ばして成長します。
このとき、自己増殖の作用が働いて、何らかのパターンが生まれます。
そのニューロンのパターンによって、情報処理のパターンが形成されます。
この情報処理のパターンが、抽象概念の正体です。

たとえば、嗅内皮質の六角形のグリッドは位置という抽象概念となります。
情報処理の機能としては地図です。
対応する位置を通過したとき発火するGPSのようなものです。

それ以外に、言語に使われるパターンもあります。
たとえば、言葉の音を区別するニューラルネットワークのパターンがあります。
このニューラルネットワークは、成長過程で日本語のシャワーを浴びると、LとRを区別しなくなります。

語順のパターンもあります。
日本語だと、「太郎が学校に行く」と主語、目的語、述語の語順となります。
これが英語だと「Taro goes to school」と、主語、述語、目的語の語順となります。
これが文法です。
これも、育った環境で変わります。

こんな風にして、ニューラルネットワークで様々な情報処理のパターン、または構造ができます。
これが抽象概念です。

そして、構造の上に、コード化された具体を配置して世界を理解します。
場所概念なら、自分のいる位置を場所概念に配置します。
これが自分の位置の理解です。
理解とは、場所という抽象概念に、コード化された現実世界を対応させることとも言えます。

言語の場合、文法構造に単語を配置します。
文法構造が抽象概念です。
現実世界のものをコード化したものが単語です。
そして、抽象概念である文法構造に単語を配置することが文の意味理解です。

イスラエルの赤ちゃんは、文法概念の形成時期にビタミンB1が不足したため、文法構造が正しく作られなかったんでしょう。
だから、「誰が誰に対して何をした」といった単語の対応関係がうまく理解できなかったんです。

さて、抽象概念は、ニューラルネットワークでできたパターンです。
このパターンは、自己増殖で生成されるといいましたよね。
自己増殖パターンは、結晶のように成長します。
https://www.youtube.com/watch?v=fEfVQ5HvGl0
4:51~適当
結晶が生まれるには、結晶の核と、きっかけが必要です。
それを作り出すのが遺伝子です。
結晶パターンは、初期状態に非常に敏感です。
初期状態の違いで、様々なパターンが生まれます。



チューリングパターンも、初期値のちょっとした違いで、全然違うパターンが生まれます。

前々回、遺伝子の情報量と脳の情報量の違いが10万倍以上もあるという話をしました。
遺伝子で伝えられるわずかな情報で、脳の膨大な情報をどうやって作り出すのか。
これが謎でした。
その答えが、自己増殖です。
遺伝子が伝えるのは、自己増殖パターンの初期状態というわずかな違いだけです。

そこから、結晶が成長するように、抽象概念の様々なパターンが成長します。
たとえば、場所概念のグリッドパターンとか、言語処理に使われる文法や音を区別するパターンとかです。

結晶の成長は環境の影響も多く受けます。
だから、日本語環境で育つと、主語の後に述語がきたり、LとRを区別できなくなったりします。

そして、このニューラルネットワークの構造にコード化された現実世界を当てはめることが現実世界の理解です。
つまり、世界の理解とは、ニューラルネットワークでできた抽象概念にコードを当てはめることと言えます。
そして、世界の一つが現実世界です。
ということは、それ以外の世界もあって、それぞれの世界を理解する抽象概念があります。

たとえば、数という世界です。
数を理解する抽象概念が「数列」です。
現実世界にあるのは、リンゴとかボールといった具体物です。
そこから、数列という構造に配置できる最低限の要素を抽出したものが数です。
数列概念は、数を一つずつ増やすとか、数えるといった情報処理もできます。
これが数の理解です。
世界の意味を理解するとは、抽象概念を操作することといえます。

ドゥアンヌは、子供の時、数はどこまで増やしても終わりがないことに気付いて感動したといいます。
つまり、無限の概念に気付いたわけです。

これは、数列概念をつかって、順に数を進めるだけでは気付きません。
無限に気付くには、数列を俯瞰する視点が必要です。
その視点があるから、数列から決して外に出られない数という概念を理解できるんです。
これが無限の概念です。
これも、一種の抽象概念です。

数列を俯瞰して見るということは、一つ上のレイヤーから見ると言えます。
または、より抽象度が高いとも言えます。
そして、ドゥアンヌは、このより抽象度が高い無限の概念があることに気付いたわけです。
ここで注意してほしいのは「気付いた」ということです。
作り出したんじゃありません。
最初からあったものに「気付いた」わけです。

つまり、無限の概念は、脳内に最初からあったわけです。
ただし、それに気づくには、まず、数列の概念を理解し、使いこなせなければなりません。
数列の概念を使いこなすとは、リンゴとかボールといった具体を自由に数列に配置したり、操作することです。
それができるには、現実世界のリンゴやボールを認識して、それをニューラルネットワークが扱えるようにコード化する必要があります。
つまり、世界の理解の出発は、現実世界の学習です。

現実世界の学習から始まって、抽象概念を一段ずつ登っていくわけです。
これが世界を理解するということです。
または大人になるということとも言えます。

そして、抽象概念は遺伝子が作り出します。
つまり、抽象概念は生まれたときから決まっています。
言い換えると、人間の脳は、生まれたときから理解できる世界が決まっているとも言えます。

僕は、学習の積み上げで、抽象的な思考を獲得できると思っていました。
でも、それは逆なんです。
抽象概念は生まれつきもっているものです。
ただ、その抽象概念に辿り着くのに、現実世界から一段ずつ階段を上らないといけません。
この過程が学習です。

これは、いくら学習しても、生まれつきもっている抽象概念までしか到達できないとも言えます。
つまり、生まれつき、その人の限界が決まっているわけです。
でも、逆の見方もできます。
どういうことかというと、自分がどんな抽象概念をもって生まれてきたのかは分かりません。
つまり、本当はできるのに、そこに到達する学習ができていないだけなのかもしれません。

ただ、持っていない抽象概念に向けて努力しても報われません。
その意味では、本当の教育とは、その人が生まれつきもっている能力を見つけ出すことかもしれません。

はい、今回はここまでです。
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それから、良かったらこちらの本も読んでください。

それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!